鈴麻呂日記

50代サラリーマンのつぶやき

イノベーションと懐古:読書録「遅刻してくれて、ありがとう」

・遅刻してくれて、ありがとう  常識が通じない時代の生き方<上・下>

著者:トーマス・フリードマン  訳:伏見威蕃

出版:日本経済新聞出版社

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「フラット化する世界」のフリードマンが描く「その後」。

「フラット化する世界」は翻訳が出た時に読んですごく感銘を受けた覚えがあるんですが(2006年)、不安もありながら基本的には新しい希望の世界が描かれていました。しかしながらリアル世界は、残念ながらその「希望」を現実化するには至っていません。

アラブの春のその後や、トランプ、ブリグジット、アルカイダ、ISIS etc、etc…

 

作者はその転換点を「2007年」に置き、その前後に起きたイノベーションが「フラット化した世界」をさらに違う次元に推し進めたと考えます。

 

iPhoneに始まる「スマホ」の登場

Facebook、ツイッター等のSNS等のコミュニケーション・ツールの登場

クラウドの活用の広がりとコンピュータ能力のさらなる向上

ビッグデータの活用とAIの実用化

遺伝子解析等の進展によるバイオ分野のイノベーションetc、etc

 

この流れを「スーパーノバ(超新星)」と名付け、それが社会や経済を一変させ、その変化のスピードを加速させていることを作者は具体例を持って丁寧に説明してくれます。

その変化のスピードが早すぎて、社会や文化・教育、政治、経済体制の変容が追いつかず、そのギャップから世界に「軋み」が生じている。

「フラット化する世界」以降の状況の作者の現状認識はこんなところでしょうかね。

 

「スーパーノバ」と称されるIT技術の急速な進展。ここら辺は、「拡張の世紀」にも通じる内容なんですが、

http://aso4045.hatenablog.com/entry/2018/05/03/203014

語り口は本書の方が分かりやすいです。

「現状認識」として、本書は(先進的ではないかもしれませんが)よく出来た内容だと思います。

 

…ただこれって「前半」。

作者は「スーパーノバ」の速度は止められないし、止めるべきでもないとの認識から(これは全くの同感)、

「じゃあ、どうすべきか」

を後半で論じます。

まあそりゃ「課題」だけ放り出されても困りますからねw。

ただこの「後半」が個人的には「う〜ん…」でした。

 

視点そのものには反対じゃないんですよ。

一番のポイントは「地域コミュニティの活性化」で、それは僕自身も「そうだろうな」と思ってますから。人口減少社会になる日本にとっては特に重要な視点だと思います。

 

ただそれを確かめるために、自分の生まれ育ったコミュニティ(ミネソタ)を持ち出すのはどうでしょう?

もちろん作者はそのマイナス点もちゃんと描いてるんですが(その点、公平です)それでもなんだか「故郷自慢」っぽい雰囲気が満ちてて、僕自身は乗り切れませんでした。

「ミネソタ」の政治経済について語られてもピンと来ないってのもありますしね。

 

それに「地域コミュニティ」を活性化させるとして、「昔のように」というやり方で「スーパーノバ」のスピード感に対抗できるんでしょうか?

丁寧な関係性の構築が重要なのは重々承知していますが、「それを待ってられない」それこそが、「フラット化する世界」後における最大の課題なんじゃないか、と思うんですけど…。

そこを見据えて、具体的にその「スピード」「加速度」にどう対抗すべきなのか。

「スーパーノバ」を論じればこそ、ここが聞きたかったです。

 

<本書執筆の旅で私が学んだもっとも重要な個人的、政治的、哲学的教訓は、もっと枝分かれしろと世界に要求されればされるほど、私たちはいっそう、信頼という表土に根をおろさなければならないということだった。信頼こそが、すべての健全なコミュニティの基盤なのだ>

 

例えば「信頼」がすべてのベースとなるというのは、全くその通りだと思います。

しかし「信頼」を従来のやり方で育てていくには時間がかかり、それが「スーパーノバ」の加速度に対抗できるかには大きな懸念を感じます。

 

一方、中国では、スマホの決済情報等のビッグデータをベースにした「信頼度」を評価する仕組みが構築され、それが人々の「行動」さえ変えつつあると言う話もあります。

 

「そんなのまやかしの<信頼>だ」?

 

いや、僕もそう思いますよw。

極めてリスキーな面もあると思いますし。

https://toyokeizai.net/articles/-/219940

 

でも「スーパーノバ」のスピードに対抗しつつ、それに抗しうる速度で社会や文化、政治経済を変えていくには、そういった「仕掛け」を持ち込む必要もあるんじゃないでしょうか?

「スーパーノバ」を活用しながらね。

真の意味でのコミュニティの構築は、その後に行うしかないのではないか、と。

全てが崩壊してしまっては、元も子もありませんから。

 

正直言うと作者の、ちょっと懐古趣味っぽい後半の語りは、オッチャンには快くもあるんですよw。

でもだからこそ、多少、眉にツバつけて聞いた方が良いかな、と。

想い出は美しすぎますから…。

 

良い本だし、読むに値する作品だとは思いますけどね。本書については。

ただほんの少しアナログに過ぎるかな〜と個人的には思ってます。

そうありたい気持ちもわかるんですが。