鈴麻呂日記

50代サラリーマンのつぶやき

読書録「わたしたちが孤児だったころ」

・わたしたちが孤児だったころ
著者:カズオ・イシグロ 訳:入江真佐子
出版:ハヤカワepi文庫(Kindle版)



「日の名残り」に続いて読むカズオ・イシグロ作品、2作目。
うーん・・・。
面白かったですけどねぇ。
でも「日の名残り」に比べると、何となく喰い足りなさが残る感じがあります。
「達者だなぁ」
とは思うんですが。



一人称による回顧スタイル
というのは「日の名残り」と一緒です。
そのスタイルを高い技術で駆使しながら(記憶の曖昧さ、改竄、自己弁護etc,etc)、精巧な世界観を構築するっていうのは、(2作しか読んでないから何とも言えないんだけどw)この作者の「持ち味」の一つなんでしょうか。
本作の場合は「回顧」をするタイミングが複数に設定されていて、もう一歩、凝ってる感じがあります。



「日の名残り」と違うのは、同じ大戦間期を主要な舞台として設定し、現実の歴史をベースにしながら、本作の場合は大きく「虚構」を組み入れていることでしょう。
「名探偵」
これがソレ。
本作の「世界」では「名探偵」の存在が大きくクローズアップされているのです。



この「虚構」の組み込み方なんかを読んでると、何か「村上春樹」を思い出します。
まあ知人同士でもあるようですが、「だから」という訳でもなく、「現代文学」っていうのは多かれ少なかれ、こういう方向があるんじゃないかな、と。
何となく日本純文学の系譜に足を突っ込んでると、「私小説」的な世界観を念頭に置きがちなんですが、もっと文学は自由なんでしょうね。(それが面白さでもありますし)



でもねぇ。
これは僕の読解力の浅さ故なのかもしれないんですが、この「虚構」が上手くワークしてないように思うんですよ。
「世界の救済を期待される名探偵」
それはそれでいいでしょう。
その探偵が、自分の過去と向き合う。
これもOK。
でもその「謎」の真相がこれ?



確かに痛ましく、個人としては世界が裏返るような衝撃でしょう。
でもこの内容ならエンターテインメント小説の方が上手く処理できるような・・・。(たとえば「ミレニアム」シリーズとかね)
わざわざ「虚構」を持ち込んで世界観を構築した理由は一体・・・。



僕自身の読みが甘いという感じはしています。
「一人称」の罠をもっと読み解くと、そこにはもう少し違う見方が出来るのかもしれません。
でも今のところは・・・。



読んでる間は面白かったし、読み終えての充実感もあるので、
「失敗だった」
とは思ってないですけどね。
もう少し他の作品も読んでみようかとも思ってますし。
でもなぁ・・・。