・ダンス・ダンス・ダンス
著者:村上春樹
出版:講談社文庫(Kindle版)
村上RADIOを聴いて、「『風の歌を聴け』を読み直そうかなぁ」と思って、Kindleをチェックしてたら、コチラが電子書籍に。
初期3部作は電子書籍になったときにまとめて読んでたので、読んでみることにしました。
http://aso4045.hatenablog.com/entry/20160709/1468026802
最初に読んだときは結構「?」だった覚えがあるんですよねw。
ただ読み返す度に印象は良くなって(3、4回は今まで読んでるんじゃないか、と)、自分の中では「好きな村上春樹作品」に位置付けられていました。
で、今回また読み直して、
…う~ん、なんかチョコチョコ「違和感」が…。
表面的なところで言うと、「時代」感。
本作は88年の出版ですから、背景には「バブル」があります。
当然、主人公はその風潮に批判的なんですが、いまから振り返ると、「バブル」への評価自体が一般的にもネガティブになってるだけに、なんか「今さら」感が出てきてるような印象に。
まだバブル後の低迷期から脱しきれていない現在、「バブル」の時代こそが「例外」と位置付けられ、「成長」を追い求めるよりも、「安定」や「停滞」に意義の見つけようとする向きもあって(僕は賛成できませんが)、村上春樹のこの時の「異議申し立て」は特別なものじゃなくなってる感じがします。
過去を振り返る「風の歌」や「1973年」と比べるのはどうかと思いますが、「現在」を舞台にしたい「羊をめぐる冒険」に比べても本作に「時代おくれ」感が強く出てきているのは、それだけその「時代」に向き合ってたからかもしれませんがね。
(80年代ポップスへの「言いがかり」的な物言いも今となっては「時代」を感じさせます。
そりゃ、「ヒューマン・リーグ」って…とは当時から思ってましたがw)
それ以上に「違和感」を感じたのは「男目線」。
誰かが村上作品のことを「ヘタレ男のファンタジー」と言ってたように記憶してるんですが(違う?)、そう言うレッテルはともかく、前に読んだ時よりも「男目線」「男の都合」を強く感じたのは確かです。
もともと「一人称」なんでそう言う雰囲気は出やすいのはあるんですが、ハッキリ言って「メイ」(高級娼婦)の死をめぐる態度については気持ちの悪さに近いものを感じました。
ここらへん、五反田君との「友情」との関係性もあるんですが、テリー・レノックス(「ロング・グッドバイ」チャンドラー)を模したと思われるこのキャラクターとの関係は、(ある種の心地よさは確かにあるんですが)歪だと思うし、それを守ろうとする主人公の行動はあまりにも「メイ」に対して酷薄すぎるんじゃないですかね。
探偵であるマーロウは「真実」を探り出すことを自らに課しています。
それに対して一般人である「主人公」はそう言う哲学を持ってないし、実際、「真実」を隠蔽しようともしているようにみえるんですよ(行動としても、心理的にも)。
ユキやユミヨシさんとの関係なんかは「いいなぁ」って感じるところもあるんですが、根本的に「メイ」の(そして「キキ」の)<殺人>に正面から取り組もうとしない主人公の態度には、嫌悪感に近いものすら感じたんですよね。
これって、たぶん今までの読み直しの時には強くは感じなかった部分だと思うんです。(「男に都合のええ話やなぁ」とは思ってましたがw)
この「違和感」は僕の考え方の変化故か?
まあ、それもあるけど、「時代」の影響もあるんじゃないかなぁ。
ここ数年の女性の社会的な地位に関するいろいろな動きやスキャンダルの中で、僕自身も「男性原理」に対する警戒心の度合いを高めているんじゃないか、と。
考えすぎかもしれませんがね。
「騎士団長殺し」を読んだ時にもかんじことではあるんですが、ここまでじゃなかったように思います。
http://aso4045.hatenablog.com/entry/20170305/1488697985
「1Q84」なんかはどうだったかなぁ。
ちょっと読み直してみたい気分にもなったりして。
(それにしても新潮社さんは村上春樹作品の電子書籍化に慎重ですね。
「世界の終わり〜」とか、もうエエんちゃいます?)