鈴麻呂日記

50代サラリーマンのつぶやき

読書録「間抜けの構造」

・間抜けの構造
著者:ビートたけし
出版:新潮新書(Kindle版)



「世界のたけし」が「間」について考察した作品。
芸人仲間や出会ってきた人々の「間抜け」な具体例を導入部に、「漫才」「落語」「テレビ」「スポーツ・芸術」「映画」といった自身が関係してきたジャンルの「間」について考察し、そこから「日本人」における「間」の位置づけについて語り、最後に自分自身の「人生」を振返りながら、そこでの「間」について語っている。



「間」については先行書(「間の研究-日本人の美的表現」)を参考にしながら整理・考察しているようだが、自分自身に引き寄せた形での論述が中心なので、「空中戦」にならないところがいいね。
かといって「身内話」の紹介で終わらせず、深い思考にも誘導するという・・・まあ「ビートたけし/北野武」らしいって感じかなぁ。
スラッと読めるけど、けっしてタレント本として片付けて終わりって本じゃないと思う。

「これくらいは北野武なら書けるわな」

とも思うけどねw。



まあ「ビートたけし」のこの「客観性」と、表現者としての「狂気」「混沌」のギャップが、時として破壊的な衝動に繋がってしまうってことなんだろうねぇ(月並みな分析なんだけど)。
自分自身の「漫才」や「映画」を、大きな全体の中でのポジションを認識しながら、こんな風に冷静に語れるってのは、なかなかできることじゃないと思う。極めて明晰に認識しながら、その作品自体は論理的なところを逸脱する方向を志向してるからね。そりゃシンドイと思うよ。
ホントなら、「役者」「監督」「司会」「評論家」・・・あたりが今の「北野武」にはシックリくるんじゃないかね。
それでも「お笑い」を捨てない。
「ビートたけし/北野武」という存在であることが、彼にとっては重要なんだろう。



「創作」ってのは結局は「自分を語る」ってことなのかもしれない。
本書もまた、「間」に関する考察でありながら、最後は「自分語り」に終着している。

面白くも読める本だから、一読の価値はあると思います。