鈴麻呂日記

50代サラリーマンのつぶやき

読書録「タテ社会の人間関係」

・タテ社会の人間関係 単一社会の理論
著者:中根千枝
出版:講談社現代新書



「日本人ほど『日本人論』が好きな国民はいない」
てな感じのことを言ってたのは内田樹氏だっけ?
そういう意味で言うと、1967年に出版された本書なんかは、その手の作品の「古典」になりつつある作品かもしれない。
(作者自身は本書を「日本(人)論」として書いた訳ではないことを明言している。
だから題名に「単一社会の理論」として記し、論理的な汎用性を主張してるんだけど、それに該当する社会が実質上「日本」しかない以上、「日本(人)論」として読まれてしまうのはやむを得ないことだろう)



それでいて驚かされるのは、本書で分析される日本社会のあり方が、ほぼ現代にも通じるということだ。

「場」によって規定される社会
「場」の中での「タテ」の人間関係
「民主主義」と誤認される「人間平等主義」(「悪平等」と言ってもいい)
「契約精神」の欠如
社会生活における非論理性(相対的関係) etc,etc

67年の作品だから、戦後復興から高度成長期を踏まえて書かれた作品なんだけど、
その後のオイルショック、それを乗り越えての社会の成熟、バブルの発生と崩壊、グローバル化の進展と失われた20年・・・
この45年の日本社会の変動は驚くほど大きく、多様だったと認識されているが、その最も根幹の部分では何も変わっていないのでは。
本書を読むとそんな気分になる。

「能力主義」を導入しようとする企業の苦労について揶揄するシーンなんか、昨日の話でも十分通用しちゃうもんなぁ。

「いやいや、日本も大分変わってきましたよ」

って言いたくなる気持ちに水を差されたような気がしましたw。



そういう意味では「日本人の特質」ではなく、「単一社会の理論」を論じたという作者の意図は、45年という歳月に風化しなかったことによって、果たされたと言えるかもしれないね。
まあ、「人間なんて、4、50年で変わるもんじゃない」ってことなのかもしれなんが。



勿論、日本的な「タテ社会」にも良い面と悪い面があり(戦後の後輩から高度成長期を経ての驚異の復興は、それなくしてはあり得なかったろう)、他社会における「ヨコ社会」にも善し悪しがある。
従って、「どちらが良くて、どちらが悪い」って話ではないんだよね。
「自らの社会の『あり方』を論理的に分析/把握することで、自らの社会/家族/個人の有り様を認識し、それを踏まえた行動/判断をする」
要はそういうこと。
(勿論、その認識に基づいて社会変革に着手することもあり得る話ではあるが、本書が45年前に書かれたことを考えると、なかなかコレは難しい)

グローバル化によって世界の一体化の流れが出てきている一方で、新興国の成長によって、自国のポジションを主張する国々が増えてきている現代において(竹島や尖閣の話なんかも、こういう流れの中で捉えることが出来る)、こういう認識は、なお求められると思うよ。
「全てを解決するクリアな回答」はないけどね。



興味深い一冊でした。
(実は多分、高校か大学のときに一回読んでるはずなんだけどね。
そのときより今回の方が遥かに面白く読めたな)