鈴麻呂日記

50代サラリーマンのつぶやき

読書録「マネー・ボール」

・マネー・ボール
著者:マイケル・ルイス 訳:中山宥
出版:武田ランダムハウスジャパン(電子書籍)



最初はブラッド・ビッドの映画の方を観たいと思ってたんだけどね。
なかなか時間が取れず、結局見逃してしまってます。
小さい子供がいると、自由に映画を観に行く訳にも行きませんなぁ。
(その時間があったら、「仮面ライダー連れて行け」ってなもんw)



原作である本書の方も面白そうと思ってたんだけど、「電子書籍」になってるのを見かけて購入。
最近、こういう機会が増えてきてるような気がするから、それなりに電子書籍化も進んでるんだろうね。
僕の場合、妻も読むような作品はリアル本で買うことにしているんだけど、こういう本は妻が読む可能性はないので、電子書籍で十分w。



「さて、これをどうやって映画にしたのかな?」
とは思ったけど、面白い本だったのは確か。(20連勝がかかった試合なんかは映画的なドラマがある)
何となく「アメリカ」って言うと、「データ重視」「徹底的な効率化」って印象があるけど、「メジャーリーグ」ではそうでもないらしい。
「あとがき」の本書出版後の騒動を読むと、旧態依然のクラブ的世界がそこにはあるようだ。
それ故にこそ、「合理的」な手法は効果を発揮することが出来る。
アスレチックのビリー・ビーンGMがやったことは、要はそういうことだ。(「セイバーメトリクス」というらしい)
従ってそのことに気付かれ、同じ手法を採用する競合者が登場してくると、その効果は薄れてくる。
本書以降(2000年代初)、アスレチックがかつての強さを発揮できずにいるのもそのためのようだ。
ましてや「ヤンキーズ」のような「お金持ち球団」が競合者になるとね。
先駆者としてのビリー・ビーンにとっては、あるいは名誉なことかもしれないけど、GMとしてはしんどいことですな。
そういう意味じゃ罪な作品かもw。



さて、日本の場合はどうかな?
GMという制度が定着せず、元名選手やら、親企業の強烈なオーナーやらが大きな顔をして「あーだ、こーだ」言ってる有様だからね。
「クラブ的」っていやぁ、アメリカに負けず劣らずだろう。
落合監督の追放劇なんかを見てもね。(落合氏がビーンのような科学的手法を使っていたかどうかは何とも言えないけど)



さて、野球は科学的データにも基づいて、「合理的」に扱えることが出来るのか?



本書のラストで印象的な登場をする「ジェレミー・ブラウン」は、メジャーに昇格したものの、大選手にはなれなかったようだ。
データがある一定の水準を語ることは確かにある。
しかし現実における「成功」はそれだけで語れるものではない。(あるいは語るだけのデータが処理できないだけかもしれないが)
そういうことかな?



もっとも「クラブ的」ロマンが「正解」ってこともないと思うけどねw。
(ちなみに本書を読むと、昨季、松井がアスレチックスに所属したことが、何となく複雑な気分になりますw)