鈴麻呂日記

50代サラリーマンのつぶやき

読書録「未来型サバイバル音楽論 USTREAM、twitterは何を変えたのか」

・「未来型サバイバル音楽論 USTREAM、twitterは何を変えたのか」
著者:津田大介、牧村憲一
出版:中公新書ラクレ

ネット、ITが最も影響を与えた産業として、「音楽産業」は最右翼かもしれない。
僕のように88年に社会人になった人間にとっては、98年にピークを迎えるCDの印象が強すぎて、(結婚等を契機として音楽を聴く機会が減ったこともあって)その後の急速なCD売り上げの減少、音楽配信・違法ダウンロードの隆盛の影響等については、自分が利用する範囲での実感しかないんだけど(iTunesとかね)、本書を読むと、CDを核とした産業構成が一気に破たんしていった様子がうかがえる。
勿論、それは「CD」という媒体の衰退であり、「音楽」そのものへのニーズの動向とは一致しないのではあるが、「CD後」の模索が続く中、産業としての「音楽産業」が曲がり角に来ており、苦境にあることは事実なんだろうね。


本書で著者たちは「一人1レーベル」というテーマを掲げ、個人(というよりは2、3人の小組織)が音楽制作から発売(配信)・プロモート等までも行うあり方を新しい「音楽シーン」として提言している。
そこにある姿は「音楽産業」というにはあまりにも「個」のウェイトが高いんだけど(言ってみれば「個人商店」「家内産業」w)、確かに今のネット環境や各種のIT技術、デバイスの進展を考えると、「あり得る」とは言えると思う。
実際、坂本龍一氏なんかは積極的な取り組みをして、面白い状況を作り上げているし、本書を読むと、そういったビッグネームじゃないところでも、しっかりとした実績が上がってきていることが分かる。


その一方で思うのは、
「でもそれってメインストリームになりえるの?」
ってこと。
これは「人間はガジェットじゃない」でも指摘されてたけど、確かに一部の成功例はあるけど、それはあくまで「例外」だから成立しているのであり、それがメインストリームとなったとき、一定程度の経済基盤を構成しうるものとなりえるのか、ってのは難しいところだと思う。
ライブにしても、USTREAMでの音楽制作過程の公開にしても、それらは実際に個人の「時間」を占有するものであり、「希少感」が薄れたとき、一定の数以上の個人の時間の占有をすることができるのかってのは、どうなんだろうね?


勿論作者たちはそのことは分かっている。
分かった上で、それでも「未来」のあり方を指し示すために、敢えて「一人1レーベル」を提言するのだろう。
だってネットの進展ってのは後戻りできないだろうからね。
なんらかの新しい在り方を提示できなけれべ、「音楽産業の衰退」が「音楽の衰退」につながってしまう可能性がある。
最も懸念されるのはこのことだろう。


そういう意味では「DIY STARS」という音楽配信プラットフォームは面白いね。
まあ「開かれたiTunes」みたいなもんかもしれないけど、こういうスキームが広がることで、「産業」としてではない「音楽」の経済基盤を支えうるかもしれない。
「創造性」を支える経済基盤を確保する上において、こういう利用しやすい課金システムってのは、やっぱり必須なんだよね。
敢えて言えば、そここそが課題なのかもしれない。


「一人1レーベル」。
夢のようではあるけど、技術的にはすでに十分「現実」のものとなっていることが、本書を読むと理解できる。
その「技術」を、どう「ビジネス」(産業じゃなくてね)につなげるか?
問われるべきはそこなんじゃないかと思った次第。