鈴麻呂日記

50代サラリーマンのつぶやき

「源氏物語」が二人の関係において持つ意味:読書録「紫式部と藤原道長」

・紫式部と藤原道長
著者:倉本一宏
出版:講談社現代新書

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大河ドラマ「光る君へ」の時代考証担当がまとめた主人公二人に関する考察本。
まあ、「便乗本」っちゃあ便乗本ですが、作者としては思うところもあるようです。

 

<紫式部と道長が二〇二四年の大河ドラマの主人公となることが決まったとき、平安時代を研究する者として、この時代の歴史にもやっと日が当たる時が来たと喜んだものである(中略)。しかし、ドラマのストーリーが独り歩きして、紫式部と道長が実際にもドラマで描かれるような人物であったと誤解されるのは、如何なものかと思う。この本では、ここまでは史実であると言う紫式部と道長のリアルな姿を、明らかにしていきたい。>


<あれから五年、何と本当に紫式部と道長が大河ドラマで取り上げれることになった。こんなことが起こるまで長生きして良かったと思うと同時に、この二人の像が、ドラムのストーリーや演じる俳優さんのイメージから受ける視聴者の反響によって、実像からかけ離れてしまうことを危惧している。ドラマはドラマとして大いに楽しんでいただくとともに、リアルな平安時代の様子や、紫式部と道長の人生も学んでいただきたいものだと、願ってやまない。>

 


まあ、紫式部の名前は「まひろ」じゃないし、紫式部と藤原道長が幼少期に出会ってたってこともまずないでしょう。
あの時代の貴族の女性たちが素顔を出して、街中をふらふら歩いてるってこともねぇ。
まあ、「ドラマはドラマ」と割り切ってもらえればいいんだけど、研究者としては釘も刺しておかんとね…というところでしょうかw。


紫式部と藤原道長の生涯を追いつつ、当時の宮廷政治の状況、「源氏物語」の同時代的な位置付けなんかもフォローして、全体として「光る君へ」の時代の流れをカバーできる内容になっています。
まあ、範囲が広すぎて、「もうちょっと踏み込んで」ってところもなきにしもあらず、かな?
ここら辺、冲方丁さんや山本淳子さんの作品を事前に読んでるんで、余計に物足りなく感じるかもしれません。
作者自身の複数の著作・論文をまとめる形で一冊にしてるようですから、どうしても駆け足になっちゃうってのはあるんでしょうね。


「光る君へ」との関係でいうと、「源氏物語」の位置付けの解釈が読みどころかもしれません。
(貴重だった紙の使われ方から)「源氏物語」は藤原道長の依頼によって書かれた…という立場を取りながらも、彰子に仕え、道長の動きを見ることで「源氏物語」という作品自体が時代の流れを取り込んだ<厚み>のあるものになったし、それを使って一条天皇と彰子の仲を縮めることで道長は権力の階段を上り、盤石なものとしていった。


<紫式部は道長の援助と後援がなければ『源氏物語』も『紫式部日記』もかけなかったのであるし、道長は紫式部の『源氏物語』執筆がなければ一条天皇を中宮彰子の許に引き留められなかったのである。道長家の栄華も、紫式部と『源氏物語』の賜物であると言えよう。>


政治的意図における「源氏物語」の位置付けは、「枕草子」にも言えることで、それは定子時代を思い出させることで藤原伊周・隆家兄弟をフォローするものであったのでは、
とか、
「源氏物語」執筆後も、紫式部は彰子に仕え続け、彰子と実資の窓口となり続けていた
とか、
なかなか面白い見方も記されています。
冲方さんの小説では、彰子は道長と対立するようになり、その彰子を紫式部が支えた設定となっていますが、中立派である実資の窓口が紫式部であった…という解釈は、大河終盤での紫式部と道長の関係にどう影響するのかなぁ。
実資はロバート秋山やし…w。


ここ数年の大河(僕にとっては「鎌倉殿の13人」以降)は、ただ単にドラマを見るだけじゃなくて、その「解釈」を楽しむことも楽しみの一つになっているように思います。
放映後の「X」とか、参考になりますしね〜。(「光る君へ」に関してはポストが荒れてないのもいいです)
その「解釈」遊びの副読本として、こういう本もすごく役に立ちます。
さあ、これからどうなるのかな〜。