」<事件後の吉田の証言は「吉田調書」として発表された
東京電力のまとめた「福島原子力事故調査報告書」とともに
世界に類を見ない原子力事故の貴重な資料として検証が続けられている
ジャーナリスト門田隆将は
あの日、福島第1原発で事故対応に当たった90人を超える関係者に
直接インタビューをし、それらを書籍「死の淵を見た男」にまとめた
本ドラマは「吉田調書」「福島原子力事故調査報告書」「死の淵を見た男」をもとに
あの日、あの場所に居合わせることになった人々の
葛藤、恐怖、重積を出来得る限り忠実に描くことを命題に
事象および人物の整理と脚色を行い、物語として構築した>(エンディングフリップ)
全くそう言うドラマです。
その意味では「カタルシス」には欠ける。
福島第一原発は、懸命に「原発の暴走」に対処する人々の努力や思惑を超え、裏切り、次々と新たな局面へと引き摺りまわし、そして「何がきっかけになったのか」よく分からないままに、暴走を止める。
吉田は思う。
「残された時間で私にできることは、あの大事故を後世に伝えると言うことだと思う」
…そういうドラマ。
全8話を見て、<あの日々>を思い出し、苦しい気持ちにもなり、そして自分自身の中でまだ語れるところまで来てないんだな…ってことにも気がつきました。
もしかしたらそんな日は来ないのかもなぁ。
でもそれを風化させない意味で、このドラマを見る意味はあったと思います。
教訓めいたものを考えるとしたら、「危機に直面したときの日本的組織の脆さ」であり「リーダーシップのあり方」であり、「現場の強さ」…でしょうか。
なんか「シン・ゴジラ」みたいですがw。
「FUKUSHIMA50」を見た時にも同じように感じましたが、それをじっくり、嫌になる程見せてくれたとも言えます。
https://aso4045.hatenablog.com/entry/2020/10/20/084942
「ハラスメント」が如何に組織をダメにするかってのもよく分かります。
まあそこでどう踏みとどまるかってことにリーダーの真価はあるとも言えて、それを吉田所長や前島管理所長ま見せてくれ、東電本社や官僚たちはそれに値しなかった…ってことなのかもしれません。
もちろんパワハラは許されるもんじゃないんだけど、「決定的な危機」に直面したときに選良やリーダーたちはどうあるべきかってことです。
福島原発にやってきた総理に吉田所長が見せたのがその姿でしょう。
(あの説明が現地に行かなきゃ聞けなかったってのは、やっぱおかしい)
あらゆる手段を尽くし、すべきことは「水を入れる」と言う一点に集約された時、吉田所長は作業のために「残る者」を選ぶ指示を出します。
現場の長はその指示に基づき、「残る者」を選びます。
「リーダー」の究極の役割はこれかもしれません。
その「命令」に従わせることができるのかどうか。
その「命令」を納得させることができるのかどうか。
自分ならどうだろう。
とてもその「重み」に耐えられる気がしないし、自信もありません。
ドラマは「日本的組織」のデメリットを描くだけではなく、ある程度時間が経った後で組織的に動きだした組織のメリットも描いています。
これもまあ、「日本らしい」かな。
この危機の最後の最後、海水注入を続けるために消防車を再稼働させる必要に直面した時、吉田所長は協力会社のメンバーに電話をかけます。
このやりとり、その顛末。
これがまた「日本らしい」。
なんだか「コロナ対策」に対する日本社会の対応が重ねて見えるような気分にもなりました。
見て楽しいドラマじゃないし、全然スッキリしない。
でも日本人として見るに価するドラマだと思います。
前半、真っ暗闇の中、あらゆる計器を失って、手探りで、頭を使い、代替手段を考え、考え、とにかく一歩でも前に進もうとする姿には息苦しくなりますけど。(総理が現地に来たあたりから、ちょっとドラマ的には見やすくなります)
あ、とにかく暗闇が多いんで、もしかしたら「字幕」をつけた方がわかりやすいかも。
防護マスクしてたら、誰が誰だか分かんなくなっちゃうってのもあるしw。
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