鈴麻呂日記

50代サラリーマンのつぶやき

色んなフィクションを事例と引っ張って来てて、興味深く読めました:読書録「会話を哲学する」

・会話を哲学する コミュニケーションとマニピュレーション

著者:三木那由他

出版:光文社新書(Kindle版)

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漫画、小説、演劇、映画…と色々なフィクションから事例を取り上げて、そこで交わされる「会話」について分析・解説した作品。

作者は「会話」を<「約束事」が成立するコミュニケーション>と<相手の心理や行動を操作するマニピュレーション>によって成立していると考えていて、その自論を既存の学説なんかと照らし合わせたりしつ論じたりもしています。

 


まあ、正直言って、この「学説と持論との照らし合わせ」の部分は、「はあ、まあそうですか」って感じかなw。

元々の「学説」の方を知りませんからね。

でも作者が言ってることは理解できますし、そうした視点から分析されるフィクション内の「会話」は面白い構造を見せてくれます。

「フィクションなんだから小難しいこと言わずに楽しめばいいやん」

って意見もあるでしょうがw。

 


取り上げられているフィクションは以下です

 


・勝手にふるえてろ(綿矢りさ)小説

・同級生(中村明日子)マンガ

・うる星やつら(高橋留美子)マンガ

・ウルトラスーパーデラックス(藤子不二雄)マンガ

・オリエント急行の殺人(クリスティ)小説

・金田一37歳の事件簿(さとうふみや)マンガ

・マトリックス(ウォシャウスキー姉妹監督)映画

・クイーン舶来雑貨店のおやつ(山内尚)マンガ

・HER(ヤマシタトモコ)マンガ

・背筋をピン!と(横田卓馬)マンガ

・しまなみ誰そ彼(鎌谷悠希)マンガ

・ロミオとジュリエット(シェークスピア)演劇

・マカロンはマカロン(近藤史恵)小説

・めぞん一刻(高橋留美子)マンガ

・魔女の猫探し(別役実)演劇

・魔神探偵脳噛ネウロ(松井優征)マンガ

・違国日記(ヤマシタトモコ)マンガ

・高橋留美子劇場(高橋留美子)マンガ

・チェンジリング(イーストウッド監督)映画

・ワンピース(尾田栄一郎)マンガ

・パタリロ!(魔夜峰央)マンガ

・鋼の錬金術師(荒川弘)マンガ

・ポケモン不思議のダンジョン救助隊DX(任天堂)ゲーム

・オセロー(シェークスピア)演劇

・言語の七番目の機能(ローラン・ビネ)小説

・同志少女よ、敵を撃て(逢坂冬馬)小説

・ブラック・クランズマン(リー監督)映画

 


マンガが多いですねw。

作者は85年生まれですから。

あとトランスジェンダーということもあって、そういう傾向の作品もピックアップされてる感もあるかな。

マイノリティーとマジョリティーのコミュニケーションにおける「立ち位置」みたいなものを炙り出すという点でも、そのチョイスが生きてるってのもあります。

 


論としては最終章で取り上げられる「マニピュレーション」に関する考察から、「倫理性」に言及するあたりが興味深くもありました。

 


<私は倫理学については専門でないのであまり詳しいことはわからないのですが、少なくともコミュニケーション論的な見地からは、悪質なマニピュレーションは結果の善し悪しの点でその悪質さが問われるべきであって、それによってコミュニケーション的な約束事が形成されているのかだとか、その約束事に話し手が従っているかだとかといったことを焦点にすべきではないように思います。そこを問題にしてしまうと、あまりに最初から発言者側にとって有利にことが進んでしまいますから。>

 


政治家の「言い訳」に最近多い、「不快な思いをした人がいたとしたらお詫び申しあげます」的な言説に対して、表面上の言葉(コミュニケーション)ではなく、その言動の意図(マニピュレーション)に踏み込んで、その「倫理性」を問うべき…といった主張です。

これはこれで傾聴すべき意見。

…と思いつつも、「倫理性」を問うことは、「ただしさ」を振り回すことにもつながりかねず、実に難しい問題も孕むな…とも思ったりもして。

でもトランスジェンダーである作者からすれば、「難しさ」に立ちすくんで、結局「現状維持」となってしまうことへの苛立ちも感じているのかもしれません。

ここら辺、もはや「立ちすくむ」のではなく、一歩踏み込むべき時期に来てるのかも。

 


またぞろ繰り返される政治家の言い訳を聞きながら、そんなことを考えたりもしました。

いや、簡単な話じゃないのは確かですけどね。

 


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