鈴麻呂日記

50代サラリーマンのつぶやき

長期的にはみんな死んでいる:映画評「アイリッシュマン」

ようやく見ました。

2日間の通勤時間+昨晩…と分割して。

スコセッシには怒られそうですがw。

 

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アイリッシュマン

 


「素晴らしい出来」なのは確かです。


「ジミー・ホッファ殺害」をピークとしながらも、主人公たちの「その後」を丁寧に描くことで、生き残ったモノの<無惨さ>も曝け出しています。

関わった者たちが、死んだ者も、生き残った者も、決して安楽な人生を送ることのない世界。

「どこに<point of no-return>があったんだろう」

そう思いながら見終えました。

(そういや、一人だけ、「みんなに愛され、老衰」ってのがあったかなw)

「ゴッドファーザー」や「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」が、叙事詩的な物語でありながら叙情性をも感じさせるのに比べると、本作はズッとドライな肌合いがあります。

スコセッシやわ〜。

 


ホッファを演じるアル・パチーノ、主人公をこの世界に導くボス役のジョー・ペシ。

素晴らしい演技。

まあ楽しそうに演ってます。

こうなると「道先案内役」のデニーロはチョット損な役回りになりますなw。


特殊技術での「若返り」もお見事。

ただ「諸手を挙げて」かと言われると、そうでもない。

やっぱり「若い頃」の演技には若干の違和感を感じます。

それは「見た目」じゃなくて、「動き」。

愛嬌と野生味が同居するデニーロのアクションには、体の中に秘めた<熱情>が不意に吹き出すようなエネルギーを感じさせられたものですが、そういうのはヤッパリ落ちてるかなぁ、と。

ジョー・ペシも。

ただまあ、これは「彼ら」だから求めちゃうのであって、普通に見てたら、全然分かんないレベルではあると思います。

どの年代の演技が「素」なのか、分かんなかったですから。

 


この映画を「劇場で見てほしい」というスコセッシの希望はよく分かります。

大スクリーンで3時間半拘束されてw観たら、叙事詩性も無惨さも、より迫ってきたのではないかと思います。

…思うんだけど、多分劇場公開だったら、僕は観なかったかもw。

3時間半ですからねぇ…。

それにNetflixじゃなかったら、こんな出来上がりを認めてくれたかも、って感じもあります。

シャープな画面とカットで、全然退屈しないんですけど、そりゃ「マーベル映画」とは全然違いますからね、こりゃ。

 


「大人の映画」

一言で言えば、コレかな。