鈴麻呂日記

50代サラリーマンのつぶやき

読書録「ベネディクト・アンダーソン グローバリゼーションを語る」

・ベネディクト・アンダーソン グローバリゼーションを語る
編著:梅森直之
出版:光文社新書



「想像の共同体」で著名な思想家の日本での講演をまとめ、それに編者の解説を併せた作品。
講演が行われたのは「2005年」、作品は「2007年」に出ています。
例によって出口オススメ本の一つですw。



と言っても、僕は「想像の共同体」読んでないんですよね。
本書でアンダーソンはこの作品の成立の背景となる自分の出自を語り、1983年に出版した作品に対する自己批判まで語っています。
そういう意味では「想像の共同体」を読んで、感銘を受けた人にとっては実に興味深い内容と言えるでしょうが、その根本が抜けてるんで、個人的にはちょっとピンぼけになったような。
とは言え、今更(結構難解と言われる)「想像の共同体」を読む気にもなりませんしねぇw。


しかしそれでも(講演ということもあって)本書はそれなりに面白く読めましたし、得るものもあったと思っています。
「想像の共同体」は「国家」「国民」の成立について分析し、「ナショナリズム」論に一石を投じた作品です。そこでは(常識の中では)「自明」として認識されている「国家」「国民」が近代になって成立したものであり、かつその輪郭も漠然としたものであることが指摘されています(多分w。読んでないんで、これは本書を読んでの「推測」です)。
この作品が書かれた時点では問題意識の表には出ていなかった「グローバル化」についてアンダーソンはその後考察を加えており(これは社会の流れからすれば当然ですね)、講演の後半はこの視点での内容になっています。
「グローバル化」と言うと、何やらインターネット後の世界のようですが、アンダーソンは「電信」技術等での情報の伝達の早さの加速度的な展開、それに伴って広がったアナーキズム人脈(&革命の伝搬)に注目し、19世紀後半の「グローバリゼーション」を論じています。



「グローバリゼーションとは何か」
というのは、それだけで大きな議論になる問いかけでしょうが、インターネットや通信速度、デバイスの進化等は勿論重要ですが、同時にそれらは「手段」でしかありません。
「地域の離れた人の間に情報が広まり、人脈が地球規模で成立して、何らかの目的に向かった活動が同時的になされる」
という視点から「グローバリゼーション」を捉えるとしたら、19世紀のアナーキズムの有り様には今の「グローバリゼーション」に通底するものがあります。
そこに「ナショナリズム」を重ねると、(テロとの関係からも)極めて現代的な問題意識を引き出すことが出来る。
本書の今日的な興味深さはそこら辺にあるんじゃないかと。
いや、推測ですがw。



本書にはアンダーソンと参加者の応答も含まれていて、その中で「東アジアのナショナリズム」についてもやりとりされています。
<わたしの考えというのは、膝をついてその国民や周辺諸国の人々に謝らなくてもよいほど立派な政府なんて、世界には一つも存在しないということです。誰かにひどいことをされたと訴えている政府は、大概、自分でもひどいことをしているものです。>
と言う言葉は何やら橋下氏を思い出させますがw、その後で日本政府の対応にも手厳しい評を下しています。結局相対主義に持ち込んだって意味はないし、持ち込めるもんでもない上に、その裏にある思惑やら上から目線が見透かされるだけ・・・ってとこでしょうか。
率直な物言いに好感が持てました。



ま、「分かった」とは言えない読後感ではありますw。
でも「読んで良かった」とは思いますよ。