鈴麻呂日記

50代サラリーマンのつぶやき

読書録「新・堕落論」

・新・堕落論 我欲と天罰
著者:石原慎太郎
出版:新潮新書



読み終えての第一印象。
「あんたに言われたくない」w。



いや、結構現実認識や危機感は通じるところがあるんだけどね。
ただそれを石原慎太郎氏に言われると、不快感が先立っちゃうんだよなぁ。
ま、個人的な好き嫌いが原因かもしれんけどねw。



一つには「世代」と言う問題があるだろう。
現代日本社会に数多くの課題が噴出していることは間違いないだろう。
作者が挙げる数々の事象がその表れであるコトも賛同できる。
だが一方でそういった社会を作り上げてきた世代に作者自身が属するのも間違いない。
ましてや石原氏は政治家でもある。
社会設計において責任の一端を担う立場であったコトをどう考えるのか。
「憤懣やる方ない」と言う口調に、思わず問い返したくなる。



「俺はそう言う流れに戦って来たんだ。小沢一郎なんかとは違うんだ」



だが、政治とは結果責任である。
それを成せなかったこと、そのものに責任を負うコトが求められる。
「俺は違う」
と主張する幼児性は、作者が批判する「我欲」に通じるんじゃないかね。
(もちろん、作者はまだ現役の政治家。何かを成しつつあるのかもしれないがね。
ただもうチョイ謙虚になるべきとは思いますw)



もう一つは「老人の繰り言」感w。
作者は携帯電話やPCの害毒を指摘し、それが社会・若年者に及ぼした影響に懸念を表明している。
そのコト自体は否定すべき意見じゃないと思うよ。



じゃあどうすべきか。



これに対する作者の考えがバク然とし過ぎている。
「脳幹論」なんかも持ち出して来てるんだけど、要は「統制」ってことなんじゃないかね。
ただその統制の仕方もわかんないから、漠然とした物言いになっちゃう。
問題となった都条例に関しても、批判の根幹は裁量の幅が大き過ぎるってトコにあったんだけど、統制の仕方が見当がつかないから、そう言う内容になったのかもな。
これって要すれば、「新しい事象が理解出来ない」ってコトじゃない?
そう言うスタンスだと、「年寄りの繰り言」と見られても仕方ないんじゃないか、と。



読んでて思ったのは、「結局世代交代しなきゃいかんのだなぁ」ってコト。
作者が言う、「核武装」「徴兵制」、いずれも「あり得ない」って時代じゃなくなりつつあるのかもしれない。
しかしそれは石原氏の世代が決めるコトではないだろう。
むしろ彼らが主張するほどに、主張への客観的判断が歪められ気がする。
「遺言」は「遺言」として、サッサと表舞台から去るべき…と言うのが、読後の結論ですわ。



(後進が頼りないってのも、今の政局を見ると分かるけどね。
ただココは腹を括って譲るべきタイミングだと思うよ)