鈴麻呂日記

50代サラリーマンのつぶやき

Netflixでドラマ化とかして欲しい:読書録「その名を暴け」

・その名を暴け #MeTooに火をつけたジャーナリストたちの闘い

著者:ジョディ・カンター、ミーガン・トゥーイー 訳:古屋美登里

出版:新潮社

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「ここまでやるのか!」

と読んでて驚くくらいでした。ハーヴェイ・ワインシュタイン・サイドの工作の方ですけどね。

まあ、「金で沈黙を買う」ってことなんですが、その徹底ぶりと、それを逆手にとっての「脅迫」に近い圧力の掛け方。

元イスラエルの諜報員まで登場するんですから、チョットした映画並の展開です。

だからこそ、何十年にもわたって同じことが繰り返されたわけだし、それを突破するジャーナリストたちの努力と入念な戦略が読みどころにもなるわけです。

 


結果としてハーヴェイシュタインを追い詰めたニューヨーク・タイムズの記事を契機としてアメリカでの#MeTooは新しい局面に入り、次々と「権力者」たちのハラスメントが明らかになって、失脚が続出することになります。

 


本書では「成功事例」としてのハーヴェイシュタイン記事の経過を追った後に、「反動」としての「カバノー最高裁判事承認」の経緯(スタンフォード大学の女性教授がカバノーの過去の性暴力を告発した)を描き、そのバランスの難しさを描き出します。

告発が受け入れられるにせよ、受け入れら得ないにせよ、「被害者」であるはずの女性が理不尽なまでの状況に陥らざるを得ない…と言う構図も含めて。

 


読んで簡単に「フェミニスト万歳」と言えるような内容ではありません。

僕自身、読みながら、時に自分自身に指を立て、時に社会の不条理に憤り、時に構図の複雑さ・グレーゾーンの深さに戸惑いを覚え、なんとも複雑な気持ちで本を閉じました。

 


・リベラルと見られていたハーヴェイ・ワインシュタインの権力者としての悪行(スケールは数段小さいけど、DAYS  JAPANの広河隆一氏の事件を思い出しました)

・フェミニズムを代表する弁護士のハーヴェイへの加担の構図(被害を受けた女性が「嫌なことを忘れ、前進するため」に示談をして大金を得る…そのこと自体を否定することはできないけど、示談に付随する秘密保持条項が加害者の行動を隠蔽してしまい、被害を繰り返させてしまったことは明確に「悪」であり、そこから巨額の報酬を得ることの是非は問われる必要がある)

・#Me Tooの流れに「便乗」するような動きが#MeTooへの反動の後押しをしてしまい、結果として「被害者」を<脅迫者>や<政治的扇動者>に貶める流れも生まれてしまう構図

 


弁護士の活動範囲の広さ・深さは「アメリカならでは」なのかもしれませんが、被害者に対する社会的な視線や、「権力の濫用」を単なる性的な問題に矮小化してしまうような傾向は、日本でも見られることです。

まだまだ「無自覚的」「潜在意識的」なエリアが多いと、自分を振り返っても思うところがあります。

 


ある種の「問い直し」が今アメリカでは行われていて、それがBLM運動にも現れているのかもしれません。

その構図は単純ではなく、複雑に絡まり合っているだけに、なかなか「答え」が見えるものではないでしょう。

しかし「見なかったことにする」よりも「まずは明らかにする」ことの方が<前進>ではある。

知らないことは改善しようがありませんから。

 


そしてその流れはいずれは日本にも…。

それは覚悟してた方がいいし、そうあるべきと思います。

ここんとこ放置してたら、「女性の活躍推進」とか、空言にしか響かんやろうなぁと、思うもん。

この「沼」にはハマらないようにして来たんですがね:村上RADIO第17回

先月もあったばかりなのに…。

いよいよ「本職化」して来ましたかね。

先週放送されたのを知らなくて、慌ててradikoでフォローしました。

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例によって丁寧な書き起こしのHPはこちら。


https://www.tfm.co.jp/murakamiradio/

 


クラシック。

「ジャズ」というふか〜い<沼>に一時期ハマっちゃったんで、「クラシック」と「ブルース」の<沼>にはハマらないように、注意深く生きて来たつもりなんですが…。

イイもんはイイ。

こうして聴くと、やっぱり惹かれるもんがありますよね〜。

(一番が「二匹の猫の滑稽なデュエット」だったりするんですがw)

 


まあ、今更この<沼>に足を踏み入れる勇気はないんですけどw。

 


次は「秋のジャズ大吟醸」らしいです。

おお、楽しみ!

…だけど、また来月くらいにやるのかな、こりゃ。

こういう問題提議がされることが<変化>につながる:映画評「監視資本主義」

SNSやスマホが何をもたらしているか?

 


そのことをIT産業のインサイダーたち(結構トップを務めた人も出演します)が強い懸念を持って語るNetflixオリジナルのドキュメンタリー。

IT企業に「悪意」があるわけではないけど、「広告ビジネス」を効率的に推進するために、ユーザーの意識や行動を<操作>してしまい、そのことが精神的不安定や、二極化・分断を生んでしまっている…という、ちょっと恐ろしい流れ。

インサイダーたちの話だけでなく、サービスの視覚化(擬人化)やフィクションの挿入で分かりやすく語り掛けてきます。

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個人的にはここで語られてる「手法」についてはさほど目新しいものはありません。

ただそれをこういう風に視覚的にまとめて提示されると、流石に、

「う〜ん…」

って感じにはなりますねぇ。

自分の子供たちの振る舞いを見てると、頷けるとこもあるし。

…っつうか、自分にも!w

 


しかしこの流れを「なかったこと」にはできない。

今更、「スマホなしで生きていこう」と言っても、そりゃ無理でしょう。(個人としてその選択をすることはできますが、そのことが社会の流れを変えることにはつながらないし、そこで生じるギャップは、それ自体がリスキーですらあります)

この作品に登場する人物たちも、「それは無理」と言っています。

 


「時代を遡る」のではなく、「時代をさらに進める」。

すなわち、こういう状況になっていることを意識することで、その状況を変えるためにビジネスモデルを考え直し、技術を倫理的に踏み込んだ方向にアップデートしていく。

そこに「正解」はないにせよ、「変化」を求めることができる。

…ペシミスティックな現状認識から生じるオプティミズムとでも申しましょうかw。

まあ、この着地点がチョット面白いんですよね。

 


<ネットの世界は変わっていて実験的だった。ネット上では創造的なことが起こる。(中略)何かもっとできることがあると思う。

私は楽観主義者よ。

SNSは変えられると思う。>

 


<技術は物理法則とは違う。人の選択によって作られるものだ。

人は技術を変えられる。

ここで問うべき質問は、この結果を生み出したものは我々だと認めるかどうか。>

 


<何かが改善されるときはいつだって誰かがこう言ったときだ。

“アホらしい 直そう“

批判して改善するんだ。

批判者こそ楽観主義者だ>

 


<おかしいよね。

サービスの基本設計自体が悪い結果を産む。業界全体がね。

全て変えようと言うと大変かもしれない。

でも変えるべきだ。

(変えられるかな?)

変えないと>

 


一番根本にある問題はビジネスモデルとしての「広告モデル」。

だから広告モデルに則らないNetflixがこういうドキュメンタリーを作るってのはわかる。

もっとも、見終わった後に、「次のおすすめ」を表示するのはどうかと思いますがw。

 

長いシリーズになりそうなんで、早いとこ続編を出して欲しい:読書録「その裁きは死」

・その裁きは死

著者:アンソニー・ホロヴィッツ  訳:山田蘭

出版:創元推理文庫(Kindle版)

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「メインテーマは殺人」に続く<ホーソーン&ホロヴィッツ>シリーズの第2弾。

作者自身を<ワトソン役>にして、メタ的な設定と本格推理をマッチングさせた展開を本作でも見せてくれます。

展開もスピーディで、一気に読んじゃう感じも相変わらず。

 


作中でホーソーンとの本は「3作契約」になってるとあったので、

「次作でひと段落かな?ホーソーンの過去とかが顔を出してきてるから、次でそれが明らかになる展開かぁ」

と思いながら読んでたら、解説で紹介された作者のインタビューで…

 


<このシリーズは全十冊を予定しており(中略)、この先二冊のタイトルももう私の頭の中にあります。ただ、私がこのシリーズで最も興味を持っているのは、『その裁きは死』から本格的に始まったホーソーン自身に関する謎解きです。今の彼を作ったものは何か?  なぜ彼はこうも同性愛を嫌悪するのか?  なぜ彼は一人暮らしをしているのか?  ホーソーンの過去に何が起きたか、私にはすでに考えがありますが、物語の中でそれが明らかになるにはあと八冊を要します。>

 


十冊⁉︎

 


…となると、もしかしてホーソーンの過去って、「特捜部Q」並の<重い>もんになる可能性があんの?

ALSの青年も、今後<仲間>になってくるとか…。

 


いや、ホロヴィッツって、「007」も書いてるし、子供向けの冒険アクションなんかも書いてるから、そういうテイストが入ってくる可能性もないとは言えないんですよね、確かに。

 


う〜ん、しかし「あと八冊」かぁ。

こりゃ早いとこ続きを書いてもらわないとなぁ。

…と思ってたら、次は「カササギ事件」の続編らしい。

それはそれで楽しみだけど(あの続きって?)、こっちも早いとこ書いてもらわんと困りますがな。

 

 

 

 

「世界史」の穴を埋めるモンゴル帝国:読書録「モンゴル帝国と長いその後」

・興亡の世界史 モンゴル帝国と長いその後

著者:杉山正明

出版:講談社学術文庫(Kindle版)

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「遊牧民から見た世界史」を読んで、ユーラシア大陸での遊牧民国家の重要性に興奮し、「風の谷のナウシカ」の読み直しから<西方>国家への興味も掻き立てられ…ってな感じで手に取った本です。

一番の目的は「モンゴル帝国」。

「遊牧民から見た世界史」は、その前段の方に重心がありましたからね。

 


…なんですけど、本書について言えば、「その後段に重心があり過ぎ」かなw。

「長いその後」のことが延々と語られてますから。

作者の問題意識である、

 


西洋中心から見た「世界史」観では西と東は分断されているが、ユーラシア大陸における遊牧民国家の視点を入れることによって、この分断は埋められ、現代に至るまでの<帝国>のあり方が再解釈される

 


…って観点からは、現代ヨーロッパ・ロシアにつながる意味において<長いその後>の方にこそ意義があるってのは、理解できるんですけどね。

 


とにかく名前が覚えにくくてw、途中からは「まあ、いろいろ大変そうやなぁ〜」って読み飛ばす感じにもなっちゃったんですが、ある意味「ローマ帝国」に通じるような巨大な国家がユーラシアにあって、いくつかの<塊>が、緩いつながりで結ばれながら、歴史の長い時間を<帝国>として存在していた…そういうことが本書によって語られています。

その視線が、<現代>にまで届くってところが、最大のポイントであり、作者の言いたい音なんでしょうね。

 


そういう意味じゃ、興味深く読めた一冊。

ただ個人的には、

「もっと<モンゴル帝国><チンギス・ハーン><クビライ>のことが詳しく知りたい!」

ってフラストレーションもたまっちゃいましたw。

 


…と言う訳で、この路線、もうちょっと追いかける予定。

次は何にしようかな?

スタイリッシュに作り込まれた美術と、王宮時代劇と、アクション:映画評「王の涙〜イ・サンの決断」

Huluにあるヒョンビン作品の流れで視聴。

ちょっと見始めたら、途中で止められなくなっちゃったんでw。

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最初に惹き込まれたのは美術の素晴らしさ。

朝鮮王宮を重厚な感じに作り上げて、そこで繰り広げられる「曰くありげ」な人間模様と、王宮のしきたり的な動作が作り上げるスタイリッシュな雰囲気にやられました。

中国的な「豪華絢爛」と日本的な「侘び寂び」の中間的な感じですかね、美術のテイストとしては。

 


物語としては、主人公の「イ・サン」についてはかなり抑制的なので、事前知識は必要かも。(僕は途中でwikiのお世話になりましたw)

朝鮮の名君らしいので、韓国の人にとってはこの人物の背景は「みんな知ってる」なんでしょうね。

逆に「暗殺者」サイドの方は、もう少し「思わせぶり」でも良かったかもw。

ちょっと過去パートがくど過ぎる印象はありました。

 


でもまあ、終盤に向けて、一気に張られた「糸」が収縮する様は爽快ですらありましたね。

アクションシーンも見応えたっぷり。

前半の抑えたトーンが一気に活きてきます。

ラストの「黒幕」との対決も、グッときます。

 


原題は「逆鱗」とのこと。

邦題もわからなくはないんですが、まあ元の方が作品的にはマッチするかな。

ヒョンビンにとっては除隊後初の主演作らしいんですが、「らしい」サービスショットもありますw。

ちょっと「浮いてた」けどね、さすがに。

 

 

 

矢吹丈に「余生」はないけれど:読書録「一八〇秒の熱量」

・一八〇秒の熱量

著者:山本草介

出版:双葉社

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本書に関してはこのレビューが言い尽くしてくれています。

っうか、コレ読んで、読んでみる気になたんですけどw。

 


<崖っぷちボクサー、狂気の挑戦>

https://honz.jp/articles/-/45775

 

 

 

「狂気」に陥るのは、ボクサー本人はもちろん、ジムの会長、トレーナー、そして作者であるドキュメンタリーのディレクターもその渦に巻き込まれます。

でも、その渦を作り出すのは中心となるボクサーなんだけど、読んでると、彼が積極的に先導してって感じでもないんですよね。

 


マッチメイクするジムの会長

トレーニングを指導しつつ、戦術を組み立てていくトレーナー

 


それぞれが、それぞれの立場から、「狂気」の渦を作り出していて、時にボクサーをその「渦」に巻き込むような局面すらもあるように見えます。

それはドキュメンタリーを「作り上げる」ディレクターにもまた言えることであり…。

 


そういう意味で、「狂気」を作り出すのはボクサーだけでなく、その周り全員であり、それが「熱量」となって「狂気」を暴走させていく…という構図のように見えます。

時にボクサーの方が引き摺られてるような状況もありますからね、これ。

(舞台となる「青木ジム」は、本書でも触れられてるように、パワハラ等の問題で昨年閉鎖されています。

その詳細は知らないので是否をどうこういうことはできませんが、そういう関係性が成立してしまう土壌はあるのかもなぁ、とも感じました)

 


そういう中で、ボクサーを支える恋人の存在が、ちょっと面白い。

ある意味、「狂気」を支えながら、全てを受け入れるというか…。

まあ、この人がいなきゃ、ここまで彼らが来ることはなかったろうなぁ、と。

 


作者はボクサーが6年後に語る「余生」という言葉に引っかかっているようです。

それは作者自身が「現役バリバリ」だからでしょう。

これだけの「瞬間」を見てしまった人間が、それ以降を「余生」と感じるのは仕方がないことなのではないか。

「矢吹丈」は「真っ白な灰」になることができたけど、現実にはそういうわけにはいかないのですから。

その「余生」に、寄り添ってくれる人がいるっていうのは、羨ましいことなんじゃないかとも思いますよ。

 


まあ、「余生」をどう生きるのか…ってのも現実世界においては大切なんですけどね。