鈴麻呂日記

50代サラリーマンのつぶやき

AIと戦う訳じゃない:映画評「聖の青春」

本作にも出てきますが、プロ棋士たちに「コンピュータがプロ棋士を負かす日は?」と言うアンケートを取ったことがあるようです(96年「将棋年鑑」)。
この時、羽生善治が「2015年」と「正解」を書いたことがNHKスペシャルで驚きを持って紹介されていましたが、村山聖の回答は「来ない。」


村山聖の先見性のなさ?


いや、多分彼が将棋に求めたものは、単なる「勝ち負け」ではなく、その意味において彼が求めたものをAIがもたらしてくれる日は永遠に「来ない」んじゃないですかね。
それは実は、冷静に「その日」を当てた羽生善治の考えていることでもある。(その向こうにあることを既に彼が考えていることは、書籍化されたNHKスペシャルでも触れられています)
本作には二人が将棋に求めた、その「何か」が描かれてると言ってもいいと思います。


聖の青春

聖の青春

「聖の青春」


村山聖の「最後の日々」を、抑えたトーンで本作は描きます。
決してほめられた人格ではなかった彼を描きつつ(両親の気持ちを思うと、胸が詰まります)、「将棋」への一途さ、同志としての羽生善治へのライバル心と連帯感、そして彼を支える人々との繋がりが、「淡々と」綴られていく。
このトーンに乗れるかどうかは大きいでしょうね、本作を楽しむ上においては。
僕は結構好きです。


とはいえ「村山聖」を全然知らなかったら、「ナンノコッチャ」ってとこはあると思いますよ。僕は原作も、マンガも読んでますから(どちらも良作)。
その「予習」あって、楽しむことができる作品、ってことでしょうか?


それにしても、リリー・フランキー
またオイシイとこ持っていきますなぁ。