鈴麻呂日記

50代サラリーマンのつぶやき

読書録「東電帝国」

・東電帝国 その失敗の本質
著者:志村嘉一郎
出版:文春新書



元・朝日新聞記者が描く東電の内幕。
と言うよりは、記者だけにマスコミとの関係が中心で、「+政治家」って感じかな?
福島第一原発事故以降、東電とマスコミの癒着(あるいは東電によるマスコミ支配)みたいな話が出て来るコトがあるけど、その概要が描かれていると言ってもいいだろう。
なかなか貴重なレポートだと思うよ。



本書を読んで僕が感じたのは、「時代との関わり」だ。
本書が描き、論じる中心となるのは木川田天皇の時代になる(平岩時代も若干)。
その時代に原発推進が決まり、マスコミ対策が積極的になり、企業献金の廃止と役員の個人献金が開始されている。
そう言う意味では、今、東電が叩かれるネタの多くがこの時代に発してるとも言える訳だ(だからこそ本書の多くのページが割かれてる訳だが)。



一方で電力の鬼・松永安左ヱ門の薫陶を受けた木川田氏は、「人間尊重の経営」を掲げ、その理念を育て、徹底する為に「東電学園」まで設立している。
福島の現場で踏ん張る社員に、作者はその理念の実現を見ている。



結局、木川田氏が取り組んだ多くの施策も、「時代」の制約の中で決定されたと言うコトだろう。



国家統制を望む勢力との戦い、政治家・官僚の介入への抵抗、共産・社会主義勢力から自由主義を守る戦い…。



今から振り返ると誇大妄想的にさえ感じられるが、それが「現実」だった時代が確かにある。
木川田・平岩が生きていたのはそう言う時代だったのだ。



問題はその「時代」が変わったと言うこと。
本来ならばその時代の変遷に合わせて、体制や取り組み、関係も変化させていかねばならない。
しかし余りにも状況に適応し過ぎた体制を変化させるのは多大な労力を要する。
大組織になればなおさらだ。
そして変化を拒んだ体制は時代」から乖離し、「既得権益」の城となる。



本書が描いているのは、そんな流れじゃないかと思う。
それは国家全体の枠組みにも通じるところでもあるんだけどね。
(「時代」に制約されない理念は今も息づいてはいるが)



では東電の歴史の中で、「変革の可能性」は何処にあったのか?



原発の事故隠しが相次ぎ、南社長(当時)他が引責辞任したタイミングを作者は考えているようだ。
確かに南元・社長の「反省の弁」は、福島第一原発事故対応に対する批判の弁としても充分に成立するように読める。



まあここら辺は外部からは分からないなぁ。
本書もそこまでは喰い込めていない。



そこら辺は今後の調査による…ってところでしょうかね。



ま、一つの日本の戦後史としても、一読に値する作品とは思います。