鈴麻呂日記

50代サラリーマンのつぶやき

読書録「私たちはこうして『原発大国』を選んだ」

・私たちはこうして「原発大国」を選んだ 増補版「核」論
著者:武田徹
出版:中公新書ラクレ

最初読み出したとき、
「結構、読むのが面倒な作品だなぁ」
と感じたんだけど、すぐに一気に引き込まれた。
2002年に発表された作品に、東日本大震災を踏まえた新章(「2011年論」)を書き加えた増補版。
「今読むべき本」
であると共に、
「なぜ今まで読まれてこなかったのか?」
を問わずにはいられない力作だと思うよ。



本書は「なぜ原発を選んだのか?」については多くを語っていない。
まあそこは「石油の代替エネルギー」であり、「エネルギー安全保障」であり、「対米追随」であったりして、そこら辺のことに触れられてはいるものの、その当否について深く分析しているような作品ではない。



むしろ本書が問うているのは、
「なぜ我々は『原発』を選び続けているのか?」
あるいは
「なぜ主体的に議論することを避けるようになってきたのか?」
ってことだと思う。
その結果、意識的・主体的であるかどうかは別として、日本は「原発大国」となっている。
3.11によってそのことに呆然とする我々に対して、本書は証拠を突きつける。

「でも、こうやってあなたたちはそれを選んできたんですよ」

・・・まあ、実に居心地の悪い作品でもある。



作品としては暦年形式になっているものの、内容としてはピックアップした年代におけるイシューを取り上げ、それが孕む課題について、その年代での分析・解説を加えると共に、それが「現代」に及ぼしている影響について語る複層的な内容となっている。



1954年論 水爆映画としてのゴジラ

1957年論 ウラン爺の伝説

1965年論 鉄腕アトムとオッペンハイマー

1970年論 大阪万博

1974年論 電源三法交付金

1980年論 清水幾太郎の「転向」

1986年論 高木仁三郎

1999年論 JCO臨界事故

2002年論 ノイマンから遠く離れて



年代ごとに取り上げられる課題は多様で、ソレゾレが直線的に関係しているわけではないから、何だか統一的な論の展開がないような印象を受けるけど、それでいてその多様性が全体としての「原発」の有り様を浮き彫りにしている印象もある。
その何とも複雑な感じが、今の「福島」の状況に繋がるようなところもあって、本書の特異性を浮き彫りにしているんだよなー。



個人的に一番読まされたのは、「1999年論JCO臨界事故」かな。
直近のこの臨界事故については、表面的な知識はあったが、深くは知らないことばかり。
特に事故発生に際して現場で起きた緊迫した関係のことは全く知らなかった。
事故が起きていることは知っていながら、その重要性・緊迫性に対して、当時は全く思い至っていなかった。
その経緯が「福島」に重なることを痛感しながら、自分自身の関心のあり方が、如何に「原発」に対して無関心であったか。
この一章は僕にそんなことを突きつけてきた。

結構、そういう人、多いと思うけどね。



重い。
だけど、読む価値のある作品だと思います。