・収監 僕が変えたかった近未来
著者:堀江貴文
出版:朝日新聞出版
先日、収監される前の堀江氏の様子(モヒカンにTシャツ)を見て、つくづく思った。
「このニーチャンのセンスには付いていけないなぁ」
逮捕前のホリエモンについては、おそらく世間一般と同様、僕も否定的な見解を持っていた。
「時価総額経営」なるものには胡散臭さを感じていたし、何よりメディアで見る彼の振る舞いに嫌悪感に近いものを感じていた。
従って逮捕されたときも、「ああやっぱりね」ってな感じで、同情なんて微塵も感じなかった。
堀江貴文氏への考え方が変わったのは釈放後である。
彼自身、周りへの「説明」を丁寧にするようになっていたし、Twitterをはじめとするネットメディアが彼の主張を流すようになり、色々な「解説」がなされるようになった。
本書で堀江氏も指摘しているが、佐藤優氏の「国策捜査」によって特捜検察に対する「疑念」が生まれてきており、そうした流れの中でライフドア事件を振返ったとき、釈然としない絵図が浮かび上がって来たというのも大きい。
正直、「ライフドア事件」が冤罪だったかどうかは僕には分らない。
ただ量刑はやっぱり公平性を欠いてるんじゃないかね?
そしてそこから考えると、捜査の「タイミング」と「手法」が果たしてどうだったのか・・・。
「日本」という国・社会を考えたとき、暗然とした思いに捉われるような不透明さがココにはあるように感じている。
ま、もっともそういうことが見えるようになったのも、堀江氏の逮捕があったからこそ、とも言えるからねぇ。
もしあのまま堀江氏がフジテレビを買収して、三木谷氏や孫氏のように事業者として一定のポジションを占めるような存在になってたら、結構嫌な経営者になってたような気がしなくもないしw。
彼が持っている一種の純粋性やロマンティシズムは、彼が「権力」を失ったからこそ前面に出てきた資質のようにも思うんだよね。
本書で堀江氏は「日本」の現状を分析しつつ、そこから見える「将来」「可能性」を論じている。
その基本にあるのは、「日本を変えたい」という想い。
語られてることは非常に「真っ当な話」であり、論理的でもある。
まあ「こういうところが嫌われたりもするんだろーなー」と思うところも、チラホラあるけどw。
佐藤優氏もそうだけど、こういう存在を世に出したと言う点で、(逆説的ではあるけど)検察の捜査にも意義を認めることがで
きるかと思うくらいだ。
収監中も何らかの形での情報発信をすると彼は言明しているし(メルマガは登録した)、大震災による変革を受けた2年数ヵ月後の日本というのは、もしかしたら堀江氏のような存在を認めうる社会になってるかもしれない。
そういう意味では今後も注目すべき人材の一人である、というのは堀江氏に対する評価として言えるんじゃないかね。
・・・と言う訳で、最近僕の堀江氏への評価は高いんだけど、それでもあの「モヒカン」と「Tシャツ」にはついていけませんw。
所詮、僕も「オールドタイプ」っちゅうことなのかもしれんけどねぇ。
でもやっぱり、アレはどうよ?