鈴麻呂日記

50代サラリーマンのつぶやき

ある種の「ファンタジー」ではあるかな:映画評「クライ・マッチョ」

少年への世代を超えた継承という意味では「グラン・トリノ」

年老いた男のハメを外した冒険譚という意味では「運び屋」

 

う〜ん、そうなると、今のタイミングでこの映画を撮る意味って…

 

…と、予告編とか事前情報を見て思ってたんですが。

クリント・イーストウッド。

ベタな焼き直しはしませんw。

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かつて「マッチョ」だった男。

栄光も家族も失い、「老い」の中で肉体的な強靭さも失っている中で、彼が見つける

「安住の地」は何なのか?

 

予告編だと少年との「ロードムービー」って感じですが(それは間違いじゃないんですけど)、本作のテーマは二人が旅の途中で予想外に留まることになる村での経験にあります。

主人公が人生の経験の中で培ってきた他人への優しさや、動物を扱うスキル等、「肉体的な強靭さ(マッチョ)」とは違う資質で、主人公は自分を受け入れてくれる「場所」を見つける。

それをそばで見ていた少年もまた、「マッチョ」の意味を考え直し…

 

そんな感じの話じゃないかな。

 

 

まあ、「昔マッチョだったオッサンのためのファンタジー」と言えば、否定できないですけどねw。

「なんで、ひと目見て気に入られんねん」

とか。

それ言ったら、イーストウッドの映画なんか見てられんけど。

 

 

「90歳」(撮影中は少し前かな)のイーストウッド。

映画の文法はさすがです。

時折挟み込まれる深みのある情景ショットも含め、物語運びも安定しているし、飽きさせません。

しかしまあ、流石に「役者」としては年齢を感じせますね。

特に「歩き姿」がなぁ…。

 

「せめて20年前に…」

と思ったんですが、20年前だと「グラン・トリノ」(2008年)の前になっちゃうんですね。

そりゃ、枯れ方が足りませんw。

そこを考えると、「今くらい」なのかなぁ。

それはそれでイーストウッドの「化け物ぶり」に改めて驚いちゃいます。

 

 

#映画感想文

#クライマッチョ

#クリントイーストウッド

エピローグで持って行かれます。:読書録「砂まみれの名将」

・砂まみれの名将 野村克也の1140日

著者:加藤弘士

出版:新潮社(Kindle版)

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野村克也が、野村沙知代の脱税事件で阪神の監督を辞任したのち、楽天の監督として復帰するまでの間。

社会人野球チーム「シダックス」の監督として采配を振るっていた3年弱を追った作品です。

 


<自らの名誉が地に堕ち、絶望と結ばれた時、人はどのようにして再び起ち上がることが出来るのだろうか。

「あの頃が一番楽しかったな……」  

楽天の監督を務めていた頃、シダックス時代を振り返った野村の言葉である。  

野村はなぜプロ野球監督に「復権」できたのか。

「一番楽しかった」と語る 3年間は、どんな日々だったのか。>

 


最近読んだ野球関係の本では落合監督を描いた「嫌われた監督」が無茶苦茶面白かったです。

個人的には、本書はそこまでではなかったですかね。

まあ、僕自身の「落合博満」と「野村克也」に対する興味の差ってのもかなり大きいとは思いますが。

野村さんは、やっぱり僕の感覚からすると、少し「古い」ってのがあります。

(本書で言うと「年賀状」のエピソードとか、象徴的です。決まったとは言っても、まだ挨拶もしてない人に年賀状を出すってのは、ちょっとないでしょうw)

もっとも「野球」の見方には、「古い/新しい」はなくて、そこら辺はすごいとは思いますがね。

野村さんに接した人々が、今も彼を尊敬し、その哲学を追っているってのは、そのためだろうと思います。

 


本書については、


<担当記者として見てきた野村には、2つの顔があった。  

野球をひたむきに愛する純な姿と、策士として駆け引きを得意とし、周囲を手玉に取る戦略家の姿である。>


という野村監督の2面を、シダックス時代の3年間に両方見ることができます。

親友の志太さんに拾ってもらって監督となり、社会人野球の頂点を目指すところは前者の部分。

プロ野球の再編騒動の中から、復権の可能性を見出し、そこに向けて策を巡らせるあたりが後者の部分になります。

シダックス時代の選手やスタッフの発言から見える前者の野村克也の姿は実に魅力的で、

「憧れるなぁ」

って気分になるんですが、

野村沙知代と二人三脚で策を巡らせ、動き回っているらしき後者の方については、

「いやぁ、こう言うところが好きになれないんだよな」

と、ちょっと鼻白らむ印象。

シダックスを去る際のエピソードには胸を打たれるものもありつつ、ちょっとモヤモヤ感も残りました。

(サッチーが自責の念に駆られ、「なんとしても」って思ってたのは理解するんですけどね)

 


そこをガラッとひっくり返すのが「エピローグ」。

ここには本当にやられました。

シダックス時代は、「野村克也」自身の<野村再生工場>であった。

そこにあった想いは何か。

何が彼にそう思わせたのか。

本書の「読みどころ」はココだと思います。

 


まあ、振り返れば「いい夫婦」だったんやな、と。

野村克也は「幸せな男」やったんやな、と。

そんな気分に、読み終えてなりました。

ほんま、夫婦のことは他人にはわからんわ。

 


#読書感想文

#砂まみれの名将

#野村克也

#野村沙知代

#加藤弘士

 

「何を期待するか」によって受け止め方は変わるでしょうね:映画評「シン・ウルトラマン」

他の家族が誰も付き合ってくれないのでw、金曜の会社帰りに観ました。

割と幅広い年代層のお客さんが観に来てましたよ。

まあ、空いてましたけど。

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<その題材を、オリジナルを知らない新しいお客さんに見せる時に、今の物語、映像としてアップデートして提供することで、僕らが少年時代に熱狂した感じを共有してもらうことができるのではないかと。そういう形で『シン・ゴジラ』は作ったんです。1954年に作られた『ゴジラ』の第1作で起きたことを現代に置き換えて、今の世界に異物としての擬似らが現れたら、こんなことになるだろうと。それを今度はウルトラマンでやってみようということで、作る姿勢は『シン・ゴジラ』と繋がっていますね。>(樋口監督インタビュー。パンフレットより)

 


こういうスタンスだと考えるなら、今回の映画はそのスタンス通りの内容になってるし、オリジナルへの尊敬を込めたオマージュも盛り込まれていて、水準の高いものになってると思います。

物語自体、オリジナルの「ウルトラマン」から5つのエピソードをピックアップして、それをつなげる形で成立してるんですよね。そもそもオリジナリティに関しては高くない作りになってるわけです。

 


もともとが一本の映画で、物語としての推進力も強い「ゴジラ」(<怪獣をどうやって倒すのか>というテーマのもとで物語が展開しますから)を作り直すのと違って、30分で完結するエピソードをつないで一本にしているわけですから、物語の推進力には弱いものがあります。

でもそれでいいんですよね、作り手としては。

その中で、如何に「現代」としてのアップデートをするのか(手作り感を残しつつ)ってのが目的なんですから。

これを良しとするかどうかで、作品への評価も随分変わってくるように思います。

 


まあ、僕個人としては、

「なるほど、そういうノリか」

と分かってから、そういう視点で作品は楽しませてもらいました。

「こういうチープさは残すのかぁ」

「このアングルはどうよw」

「ああ、こういう解釈に変えるのね」

…とまあ、ややオタクっぽい見方にはなりますがw。

 


勿体無いのは、「その割には役者の演技が良すぎる」ってことかなw。

すでに評判になってる「山本耕史」の「メフィラス」は確かに絶品。

「斎藤工」の<宇宙人>っぽさもいいし、「長澤まさみ」とのバディもいい感じです。(この二人の関係性は、「ちょっとセブンっぽい」と思ったのは、僕がセブンびいきだからかしらん)

「シン・ゴジラ」でも見せてくれた、政府・自衛隊等の描き方も相変わらずテンポよくて楽しませてくれます。

ここら辺を考えると、

「ストーリーでも新基軸を打ち出すことができたんじゃないか」

…って思わなくもなかったりして。

…そういう映画じゃないのは重々承知なんですが。

 


オリジナルの「ウルトラマン」を知って入れば、楽しむことができる映画なのは間違い無いと思います。

(僕はそこまで「ウルトラマン」に思い入れはありませんが、それでも楽しみました)

オリジナルを知らないとどうかな?

ちょっと「?」になっちゃうかも。

でもまあ、「庵野作品ってそういうもんじゃん」って言われりゃ、まあ、そういうもんなんでしょうけどねw。

 


「シン仮面ライダー」はどうなるかな?

もうちょっと物語性に踏み込んで手を入れてほしい気持ちはあるんだけどなぁ。

 

 

 

#映画感想文

#シンウルトラマン

 

 

 

 

なんか、モヤモヤする…:読書録「映画を早送りで観る人たち」

・映画を早送りで観る人たち ファスト映画・ネタバレーコンテンツ消費の現在形

著者:稲田豊史

出版:光文社新書(Kindle版)

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僕は1.5倍速試聴もするし、10秒・15秒飛ばしもするし、連続ドラマの飛ばし見もするし、ネタバレサイトも読みますw。(ファスト映画は見ないかな)

まあ、でも昔からテレビ録画の倍速見とか、評判になったコミックの1巻と最終巻だけ読むとか、トレンディ・ドラマの最終回だけ見るとか、あったでしょ?

僕だけ?

 

<倍速視聴、 10秒飛ばし、ファスト映画。そういった視聴習慣に馴染みがない人にとって、これらはきわめて異常な視聴スタイルだが、説明する彼らは基本的に嬉々としていて、一切の悪気がない。ゆめめ氏の言葉を借りるなら「べつに変わったことをしているという意識はない」。それがまた、筆者にとっては正直、不気味でもあった。宇宙人と話しているような、とでも形容すべきか。>

 

そこまで言うことですかねぇ…。

 

 

…とまあ、なんとなく作者の論調の方にモヤモヤ感を感じつつ、読み進めてたんですが、

「早送りで観る人たち」の解説から、その背景、社会的な環境、ビジネスのあり方…と解説が進むにつれて、「宇宙人」認定は徐々に薄れていきます(作者も撤回します)。

そして最後にはこうなります。

 

<新しい方法というやつはいつだって、出現からしばらくは風当たりが強い。  

目下のところ、倍速視聴や 10秒飛ばしという新しい方法を手放しで許容する作り手は多数派ではない。〝良識的な旧来派〟からは非難轟々である。  

しかし、自宅でレコードを聴いたり映画をビデオソフトで観たりといった「オリジナルではない形での鑑賞」を、ビジネスチャンスの拡大という大義に後押しされて多くのアーティストや監督が許容したのと同様に、倍速視聴や 10秒飛ばしという視聴習慣も、いずれ多くの作り手に許容される日が来るのかもしれない。  我々は、「昔は、レコードなんて本物の音楽を聴いたうちに入らないって目くじらを立てる人がいたんだって」と笑う。しかしそう遠くない未来、我々は笑われる側に回るのかもしれない。「昔は、倍速視聴にいちいち目くじらを立てる人がいたんだって」>

 

 

もっとも作者は「理解」はしたけど、「同意」したわけではないようで、

 

<つまるところ倍速視聴は、時代の必然とでも呼ぶべきものだった。人々の欲求がインターネットをはじめとした技術を進化させ、技術進化が人々の生活様式を変化させる。その途上で生まれた倍速視聴・ 10秒飛ばしという習慣は、「なるべく少ない原資で利潤を最大化する」ことが推奨される資本主義経済下において、ほぼ絶対正義たりうる条件を満たしていたからだ。>

 

…ってまあ、ちょっと「資本主義」批判的なトーンに落としたりもされています。

 

 

 

僕自身は、「倍速見」派ってのは、結局その分野の「マーケット」を広げていく裾野のようなものと思っています。

そういう層の中から、その分野にオタク的にハマっていく人材が出てきて、その人材がその分野を深めていく。

このオタク的な人材の数は昔も今もそう変わらなくて、「倍速見」派の存在がネットやSNSで可視化されて、なんだか世の中がそういう方向に流れているように見える…だけなんじゃないかなぁ、と。

(ビジネス的にはこの「倍速見」派のような裾野を、日本企業が取り込めていないのが問題ってのはありますけどね。ストリーミング周りの話は大体そういう話です)

 

 

もちろん、その流れの中で「オタク的人材」の数が減ってしまうケースも出てくるでしょう。

そのことはそのジャンルの衰退に関わる問題になるので、そのジャンルを愛する人にとっては大問題…だけど、それをもって「時計の針を巻き戻せ」ってのは違う話でしょう。

 

 

 

そういう意味では「批評」の弱さが気になるところではあります。

本書でもTikTok書評に対する豊崎由美さんのツイッター批判の件が取り上げられていますが、作者とは違って、僕は「販促的な書評に対して、ガチな書評をする側が存在否定のコメントを投げる」ということにネガティブな感想を持ったし、ある意味ショックでもありました。(豊崎さんが「ガチな批評」なのかどうかってのはあるかもしれんけど)

「批評」がある種の権威を持ち、ビジネス的に成立してた時期もあったんですけどね〜。

その「貯蓄」を吐き出しちゃった感じ。

ここがしっかりとした土壌を作りきれなかったことが、結局今のコンテンツ周りの脆弱さにも繋がってるんじゃないか…って思ったりもします。

 

 

 

救いは、そうした環境の変化を踏まえつつ、変化を前提としながらも質の高いコンテンツを作って以降する人々がいることかな。

そういう人たちの発言も本書では紹介されています。

「資本主義がどうこう…」

みたいなこと言っても、仕方ないでしょ?

特に映画やテレビなんか、そもそも資本が必要とされるジャンルなんだから、「一定程度の世の中の支持」がなければ成立しないジャンルです。

「どうすれば支持を受けることができるのか」「支持を増やすためにはどうすべきなのか」

それは「大前提」の話じゃないですかね?

 

 

…ってまあ、否定的な感じになっちゃいましたが、中盤から後半の社会分析・世代分析のあたり(コンテンツの奔流、SNSによる同調圧力、「間違えたくない」世代etc,etc)あたりはかなり興味深く読むことができました。

「倍速見」を肯定するか否かでだいぶ感想は変わるんでしょうけど、それはそれとしてエンタメ・コンテンツ周りの現状を眺めるのには良い本なんじゃないでしょうか。

 

 

 

 

#読書感想文

#映画を早送りで観る人たち

#稲田豊史

 

 

 

ドメなおじさんが読んでも興味深い:読書録「ロンドンならすぐに恋人ができると思っていた」

・ロンドンならすぐに恋人ができると思っていた

著者:鈴木綾

出版:幻冬舎

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日本人じゃない30代の女性が、日本に留学し、6年間東京で働いたのち、渡英。グローバル企業に勤務しつつ、ロンドンで生活している日常のあれこれや、思うことなんかを記したエッセイ。

日本人名ですが、これはペンネームで、多分中華系の女性なのではないか…と。

 


<日本が好きだった。東京で6年間働いた。

だけど、モラハラ、セクハラ、息苦しくて限界に。

脱出して、ロンドンにたどり着いたー。>

<フェミニズムの生まれた国でも、

若い女は便利屋扱いされるんだよ!>(帯より)

 


…とくると、「日本もダメだけど、ロンドンだって同じようなもん」ってなノリになるのかと思いそうですが、確かにそれなりの「生きづらさ」はそれなりにあるにせよ、それでも「生きづらさ」っていう点では、ロンドンの方がず〜っとマシだそうです。

鈴木さんは基本的には今も「日本大好き」なんですけどね。

 


本書では「日本で女性が生きていく生きづらさ」に言及しつつ、「ロンドンにもある生きづらさ」を指摘し、それでもそこで活躍する女性たちの姿や、そこにある連帯を描いています。

そのままで言ったら、グローバルの活躍する女性たちのキラキラに目が眩んだかもしれませんがw、そこにやってきたのが「新型コロナ」。

そこからエッセイは内面的な方向や文化的な側面への言及が増えていきます。

ロンドンの「ロックダウン」は、ガチな外出制限が課せられてましたからね。

世界を飛び回って活躍する〜なんて話にはならなくなるわけです。

 


まあ、ここら辺があったから、「50すぎのガチでドメに過ごしてきた日本人のオッサン」(う〜ん、なんか鈴木さんの仮想敵みたいな特徴やなw)にも面白く読めたのかなぁ。

 

<この本は特に同世代の(私より若くてもいい!)女性たちに読んでもらいたい。>

 

って、作者のターゲットは真逆なんですけど。

(作者は「フェミニスト」でかなり「リベラル」で「グローバリスト」。僕からすると相当トンがったキャラですが、なんか嫌いになれないです。人徳かなぁw)

 


ロンドンにはバリバリ左の「ブレイディみかこ」さんもいらっしゃいます。

かなり立ち位置は違うと思うんですが、それぞれが描くロンドンの姿、そこから投射される「日本」の課題ってのは、それぞれ興味深いものがあります。

そのどちらもが僕に刺さってくるのは、「女性」というフィルターがあって…ってことなのかもしれません。(ロンドンでお二人が対談したら、その視点では意気投合なんじゃないか、と)

 


僕自身は多分ドメに生きていくことになるんだろ思いますが(犬もいるしw)、さて子供たちはどうかな?

冨山和彦さんがおっしゃる「Lの世界」で生きていくのもいいかな、とは思っています。

やっぱ「Gの世界」はシンドイよw。

でも視野としては「グローバル」な視点も持っておいた方がいいだろうなぁとも思ったりするんですよね。

特に娘の方は。

 


どうであれ、選択するのは子供たち自身。僕は口を出すつもりはありません。

でも僕自身の視野も、未来に向けて広げておく必要はあるだろうな、とも。

こういう本を読む面白さは、そこかな?

 


#読書感想文

#ロンドンならすぐに恋人ができると思っていた

#鈴木綾

草笛光子がかなり持っていきます。:映画評「老後の資金がありません」

原作は以前、結構楽しく読ませてもらいました。

映画化の方は、さらにコメディ色を強くした仕上がり。

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悪く言えば「テレビに2時間ドラマをちょっと贅沢にした感じ」。

Netflixのオリジナルドラマでも、もうチョット仕上がりは上かもしれません。

でもまあ、この作品に関してはこれでいいんじゃないですかね。

テレビの前で、ゲラゲラ、ニヤニヤしながら観て、ストレス解消して、すっきりとする…そういう映画だと思います。

映画館でみるほどかどうかは、人によるとは思いますが。(僕はプライムビデオで視聴)

 


役者陣は主演の天海祐希をはじめ、なかなかの達者陣を揃えています。

中でも「草笛光子」は出色。

松竹歌劇団(草笛光子)と宝塚歌劇団(天海祐希)による「ラストダンスは私に」は聞かせてくれます。

「88歳」かな?

いやぁ、シャキッとして素晴らしい。

 


「公的年金だけでは老後資金が2000万円足りない」

という指摘から展開するバタバタ劇。

最終的には「お金よりも、人間関係」ってオチになります。

それはそれで良いとして、映画でのそのオチの付け方はチョット現実離れしてるかも…って印象がなくはないかも。

これをキレイにおさめるのナカナカ難しいってことかもしれませんがね。

 


#映画感想文

#老後の資金がありません

#天海祐希

#草笛光子

 

個人的には第一作に次ぐ面白さでした:読書録「マスカレード・ゲーム」

・マスカレード・ゲーム

著者:東野圭吾

出版:集英社

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「グランド・ホテル」形式でホテルを舞台にしたミステリーに仕立てた第一作(マスカレード・ホテル)

前日譚の第二作(マスカレード・イブ)。

第一作に続いて映画化された第三作(マスカレード・ナイト)。

…と来ての、シリーズ第四作。

 


「そこそこ続編映画も興行成績は悪くなかったようだから、次の<映画化>用かな?」

 


などと、ややヒネクレた思いも抱きつつ、読んでみました。

…思ってたよりも面白かったですw。(東野さん、ごめんなさい)

 


小説については、どんでん返しも効いた第一作は結構良い出来だと思っていて、それに比べると二作目・三作目は、

「上手いけど、シリーズとして書く必要があるのかな?」

っていうのが、正直な感想でした。

そういう意味では本作についてもシリーズにする必然性があるとは言えないでしょうがw、出来としては二作目・三作目よりも上ではないか、と。

終盤のある展開には、思えわず胸を突かれるシーンも…。

ちゃんと「振り」はされてるんですよね〜。

いや、こういうところはホント上手いです。

 


映画化あるかな?

なかなかメンツも豪華なので、難しいかもしれませんね。

でもあったら見てみたいなと思いましたよ、本作については。

まあ、何作目になっても距離感が縮まらない主人公二人の関係性はどうかとは思いますがw。

 

 

 

#読書感想文

#マスカレードゲーム

#東野圭吾