鈴麻呂日記

50代サラリーマンのつぶやき

中年ど真ん中のスーさんの話を、老年が見えてきた僕が読む。:読書録「これでもいいのだ」

・これでもいいのだ

著者:ジェーン・スー

出版:中央公論新社

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ここんところ対談集が多かった気がしますが、久しぶりのエッセイ集。

まあ昼帯のラジオ番組やってますからねぇ。

忙しいんでしょう。

 


僕にとってスーさんのエッセイは、

「少し年齢が下の世代の、ちょっと尖った女性目線での考え方」

を教えてもらう感じです。

いや、もちろん「面白い」ってのが第一ですが。

 


でもって、結構年代によって「意見がブレる」とことろが良いんですよねw。

そこら辺、「すべての男は消耗品である。」の村上龍に近い。

ただ龍さんが、その時その時では「断言」するのに比べて、スーさんは自分の意見がブレてることに、ちょっとした後ろめたさみたいなものも感じさせます。

龍さんのエッセイを読むのが面倒くさくなって辞めちゃったのにw、スーさんのは読み続けてるってのはそこら辺もあるかなぁ。

「異世界探報」気分もあるけどw。

 


<悲観的になろうと思えばどこまででもなれるけれど、楽観的に考えれば、私が失ったものは、記憶力と体力くらいだ。>

<(前略)日々の疲れは取れぬが、私はようやく手に入れた楽園に住んでいる。

私がなぜ楽園住まいを始められたかと言えば、これはもう完全に加齢のおかげ。若者よ、加齢はいいぞ。なぜなら、あきらめがよくなるから。>

 


…ここまで吹っ切れないかな。まだ僕もw。

記憶力と体力は失い始めて久しいけど。

 


とは言え、いろいろある。

スーさんもお父さんのことやら(本も書いてましたね)、パートナーのことやら。

しかしまあ「今」はこういう状況…ということで。

 


その先は、また次のエッセイで聞かせてもらいましょう。

これからの世界には「哲学」が必要だとは思ってます:読書録「世界史の針が巻き戻るとき」

・世界史の針が巻き戻るとき  「新しい実在論」は世界をどう見ているか

著者:マルクス・ガブリエル 訳:大野和基

出版:PHP新書

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「未来の分岐点」を読んだ時も、ガブリエルさんの言ってることチョット理解が…

だったんですが、本書は現実世界との関わりの中での持論の展開&インタビューということなので、分かりやすかも、と思って手に取ったんですが…

いや、ダメでしたw。

前半はまだしも、後半、特に「表象のどうたら、こうたら」のあたりから…。

 


現実世界に向き合い、良い世界となるように変えていこうというガブリエルさんの強い意志は十分に感じられるんですけどね。

 


グローバリズムとインターネットによって、人間が把握できる範疇を超えたところにまで行きつつある現状を、「実感」においてコントロールできるところまでどうやって引き戻すのか。

 


「世界史の針が巻き戻る」

ってのは、そこら辺の状況と方向性を指して、だと思います。

ま、端的に言えば、今の人間には「国民国家」という枠組みがギリギリのところで、それを超えて動くグローバリズム経済やGAFAのような巨大IT企業には無理があるし、だからこそ規制が必要…って感じ。

 


なんか「理想」を語れば、「え〜、今更国民国家って…」って感じもありますが、実情と実際を考えると、そこらへんしかあり得ないのではないか。

安易な相対主義やニヒリズムに陥ることなく、世界の多様性・多元性を認めつつ、「良き世界」に向かっていくためのバランス取れたスタンスを如何にとるべきかなのか?

 


ガブリエルさんが考えている「哲学」ってそういうもんなんじゃないかなぁ、と。

ちょっと「中庸」の考え方にも近いかな、とも思ったりしました。

もちろん現実世界とのせめぎ合いの中にはすり合わせや妥協も必要で、そこに「御用学者」的なリスクも潜んでいるとは思いますけどね。

そんなことはガブリエルさんは百も承知でしょう。

 


本書の中ではスティーブン・ビンガーの「21世紀の啓蒙」に対する批判的な見解が示されています。

「21世紀の啓蒙」、この1ヶ月くらい、ちょっとずつ読んでるんですけどねw。

 


確かに「現実世界」ととっくみあおうとしているガブリエルさんから見れば、「長期的に見れば世界は良くなっている」というビンガーさんの主張は歯痒いのかもしれません。

「長期的に見ればそうかもしれないが、長期的にはみんな死んでいる」

ま、そういうこと。

今、どん底にいる人に「長期的には世界は良くなってるから。あなたは救われないかもしれないけど」とは言えませんわな。

 


僕自身はビンガーさんのスタンスに近くて、

「長期的には世界は良くなる。そのために今できることをすべき。しっかりとやれば、今も良くなっていくはず」

と考えています。

ポイントは「今できることをする」ってこと。人間の可能性に失望しない…ってことかな。

まあ、追求すると、ガブリエルさんが言ってることも、ビンガーさんが言ってることも、同じことの裏表…って感じもします。

 


と言う訳で、良く理解できなかったので、「オススメ」とは言えない一冊w。

「今の哲学」の入門書にはなるかも(よう知らんけど)…ってな感じです。

暴走っぷりには呆れるけど、新味もあって楽しめます:読書録「森の捕食者」

・生物学探偵セオ・クレイ 森の捕食者

著者:アンドリュー・メイン 訳:唐木田みゆき

出版:ハヤカワ文庫

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「生物学者」というか、正確には「生物情報工学者」。

「生物学」のデータをベースに、IT技術を駆使して、「パターン」を導き出す…ってな感じでしょうか?

その「パターン」を連続殺人に…ってところが、このシリーズの「新味」です。

 


…とは言え、この主人公。

大人しくPCの前に座ってるタイプじゃない。

…どころか、色んなところに顔をだし、口を出し、やっちゃいけないことに手を出して、とんでもない行動に移ってしまう。

という、傍迷惑なタイプ。

読んでても、

「おいおい、なんでそんなことを…」

ってのが少なからずありましたw。

 


この「暴走」っぷりと、アイデアの「新味」のバランスをどう取るかによって、評価は分かれますかね。

僕はまあ、辛うじて「OK」…かな。

作者は有名なマジシャンでもあるようですが、物語の「見せ方」には達者なところがあると思いますよ。

 


翻訳は既にシリーズ2作目も出版されています。

さて、どうしようかなぁ。

軽々しく「感想」を書くものでもないかなぁ:読書録「上野先生、フェミニズムについてゼロから教えてください!」

・上野先生、フェミニズムについてゼロから教えてください!

著者:上野千鶴子、田房永子

出版:大和書房

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ここのところ、「女性」にスポットを当てた本を読む機会がなんとなく増えてるんですよね。

いちばんの理由は「中学1年生の娘がいる」ってのが背景でしょうが、「#MeToo」「#KuToo」の運動やら、「ハラスメント」に関する動きとか、「働き方改革」の流れの中で、「日本の女性」の<あり様>が変わってきてる気がして、そこを追いかけて…ってのもあると思います。

 


でまあ、このタイミングで改めて「フェミニズム」について勉強してみようかなぁ、と。

そうなるとこの方になりますね。

上野千鶴子さんw。

 


本書は日本のフェミニズム運動を引っ張ってきた上野さんに、現在子育て中で、女性活動・フェミニズムについて強い興味を覚えている田房永子さん(漫画家)が質問する対談本となっています。

対談形式だから読みやすくてわかりやすい…ってことはなくて、戦後日本の歴史や、世界のフェミニズムの動き、日本独自での女性運動の流れやあり方について、一定程度の事前知識がないと、振り落とされる感じがあります。

 


あとまあ、「男」は厳しい。

日本におけるフェミニズムの流れ、そこでの課題認識、現状etc,etc

それらを軽々しく「分かる」とは言えないところがあるんですよね、この話には。

だからって拒否反応を前面に出して、背を向けるってのも違うと思うし…。

 


先に読んだ妻が、

「これは軽々しく感想とか書けないよ」

って忠告してくれたんですが、その通りやなぁ…と。

 


<私がフェミニストになった理由はね、私怨よ>

 


と言い切る上野さんの「潔さ」には感服しますがねw。

 


それでも敢えてコメントするなら、こんな点。

①フェミニズムの持つ「ファイティング・ポーズ」の姿勢は相手だけじゃなくて、女性にも敬遠される要素になってるんじゃないか?

②(上野さんも自覚しているけど)次の世代に、前の世代が闘った成果や記憶が伝わっていないのは、運動のあり方そのものに課題があるんじゃないか?

③一方で確実に「セクハラ」や「女性の人権」について前進が見られる。これはフェミニズム運動の成果の表れでもあろうかと思う。

④(フェミニズムに限らず、政治・社会運動全般に通じることだけど)ネットやスマホによって情報の拡散範囲や速度が格段に上がっている中で、活動のあり方をどうアップデートしていくのかがポイントじゃないか?

 


もっともコレは「外野」の感想。

外野=男性の方には、自分たちが抱えているものを、どういう風に捉え直し、次世代に伝えていくべきか、考えていく責務がある。

その時、フェミニズムの側から照らし出される「違う視線からの社会の姿」が、自分たちの考えや活動に反映していく…僕がフェミニズムについて考えるのは、そういう事だと思っています。

「フェミニズム」を自分ごとには出来ないけど、「フェミニズム」が照らし出すもの/ことは自分ごととして捉えていくべき…って感じかなぁ。

 


安易なオモネリは、上野さんも良しとはしないでしょうからねw。

 


まあ、なかなか刺激的な本でした。

スゲェこういうのを嫌う人がいるのも分からんでもないですなぁ。

ミュージカル&顔芸:映画評「ヲタクに恋は難しい」

僕はコミック1巻を読んだくらいですが、僕以外の家族(妻・息子・娘)はコミックの大ファン。

…と言うことで、家族で観に行きました。

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まあ、「福田監督作品らしいなぁ」ってとこですかね。

ただ「ミュージカル」なんで、毎度の「ぬるすぎ感」(w)はチョット後退してたかも。(佐藤二朗はいつも通り)

「顔芸」の方は相変わらずですが。

 


コミックファンの子供達からすると、先輩2人(斎藤工と菜々緒が演じます)との絡みが少なかったのがヤヤ不満とか。

僕は「ちょっと歌が長いかな」って感じ?

ムロヒロシの「麦茶」は大爆笑でしたがw。

 


全体としては作り込みもされてるし、楽しめる作品に仕上がっていると思います。

原作に比べてヲタク感が若干控えめなのは、まあマーケティング的に仕方ないでしょうw。

 


続編。

…あってもおかしくないけど、このメンツを揃えるのはちょっと無理かなぁ。

観念(正義)が暴走すると、とんでもないことに:読書録「独ソ戦」

・独ソ戦 絶滅戦争の惨禍

著者:大木毅

出版:岩波新書

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「戦争は女の顔をしていない」(コミック版)を読んで、背景となる「独ソ戦」のことが気になって、積読本の中から引き出して来て読みました。

いやぁ、ほんと気が重くなるような、スケールの大きな「歴史的事実」。

文化大革命とかもそうだけど、独裁者の観念が暴走すると、歯止めが効かないと言うか…。

 


本書のポイントは、

「なんでここに至るまで戦争を止めることが出来なかったのか」。

戦死者の人数は、

ソ連2,700万人(当時の人口1億9千万人の14%)

ドイツ800万人(人口7000万人の11%)*独ソ戦以外の戦線も含む

日本は戦死者300万人で当時の人口が7000万人だから、4%。

まさに「桁違い」。

 


ソ連側の被害が大きくなっているキッカケは「スターリンの粛清」らしい。

有能な軍人将校・将軍を次々粛清してしまったために、独ソ戦が始まる段階ではソ連軍は相当に弱体化してた模様。

そのことを認識してたスターリンは「ドイツは攻めてこない」と妄信してしまい、結果、不意打ちにあってしまった…。

 


この電撃戦があまりにも上手くいってしまったため、浮かれて相手を軽く身過ぎてしまったのがドイツ/ヒトラー。

その結果、ザルのような戦略を立ててしまい、体制を立て直して来たソ連軍に太刀打ちできなかった…と。

戦略方針の錯綜(資源を獲得するか、政治的成果を優先するか等)なんかもあります。

 


軍事的に見過ごせないのは、立ち直ってからのソ連の「作戦術」の見事さ。

日露戦争への反省から研究されて組み上げられた連続縦深打撃理論が、独ソ戦の後半で威力を発揮します。

この作戦術は満州国進撃にも活かされた…ってのに複雑な気持ちにもなりますが…。

(ベトナム戦争後の反省から米国が参考にした…って話もあるくらいです)

 


そうした軍事的側面に加え、本書ではその背景にある「思想的」「観念的」側面にも深く言及しています。

勝敗とは別に、「独ソ戦」において、両軍が通常戦争を大きく逸脱した残虐行為を行ったこと、ドイツがベルリン陥落まで降伏しなかった(そのため被害も大きくなった)ことの要因を作者はここに見ています。

 


ドイツ側ではヒトラーの持つ「人種主義」に根差した「世界観」が根本にあります。

そこに第一次大戦後の社会情勢を踏まえた「収奪戦争」(国内の資源・資本を酷使せず、国外から収奪する)のスタンスが加わり、それを享受するドイツ国民の支持のもと、「世界観戦争」=「絶滅戦争」に踏み込んでいった…と。

ここでは単なる「ヒトラー/ナチス」の罪におさまらない、「ドイツ国民の罪」が指摘されています。(その点を現在のドイツ国家も認識しているとのこと)

 


ソ連側ではドイツの侵略を契機とする「スターリン体制」の強化があるでしょう。

共産主義のイデオロギーとナショナリズムを混合させ、掻き立てることで国民を奮起させ、体制に組み込んでいくと言う流れです。(ここら辺、「戦争は女の顔をしていない」でも垣間見ることができます)

その根本には「復讐心」がありますから、自ずと相手に対する残虐性が発揮される。

イデオロギーが残虐行為の「免罪符」になるという面もあるのかもしれません。

戦後国際政治を見据えたスターリンの功名心が戦局の無理につながり、戦禍を広げた側面もあるでしょう。

 


いずれにせよ、両国とも「独裁者の横暴」だけで片付けられるものではなく、国民の支持と積極的なコミットメントがあって、それ故にここまでの惨禍になってしまった…という構図は見過ごせないと思います。

 


日本の場合は「聖断」が大きかったと言えるんでしょうか。

ここまでの徹底した「観念」を持ち得なかった…ということなのかもしれませんが。

 


いずれにしろ、本書を読むことで、現時点での「ドイツ」と「ロシア」(ソ連)のスタンスも朧げながら感じることができます。

第二次大戦への反省をふまえ、ヨーロッパ共同体の維持に力を注ぐ「ドイツ」

第二次大戦の結果と成果を誇りとし、国際情勢においても、その立場を手放さない「ロシア」

…北方領土返還。

そんな簡単な話じゃないし、東アジアと日本の関係も、ドイツのスタンスと比較すると…。

 


なんとなくヨーロッパ戦線というと、僕は「イギリス」中心で考えちゃうんですが、この「独ソ戦」を抜きにして、第二次世界大戦は論じられないんだなぁ、と改めて。

入門書としては素晴らしい作品だと思います。

…重いけどね。

現代的にして、「本格」ミステリ:読書録「メインテーマは殺人」

・メインテーマは殺人

著者:アンソニー・ホロヴィッツ 訳:山田蘭

出版:創元推理文庫

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前作の「カササギ殺人事件」は昨年のミステリーランキングを席巻しましたが、本作もまた「このミス」はじめ4つの年末ミステリランキングで「1位」という快挙とか。

っつうか、「4つもある」(このミステリーがすごい、週刊文春ミステリーベスト10、2020本格ミステリ・ベスト10、ミステリが読みたい)ってのもどうかとは思いますがw。

 


ただまあ、それに相応しい出来ではあるかな、と。

「仕掛け」としては前作の方が<大仕掛け>でしたが、凝り様はコッチの方が上かもしれません。

 


・語り手が「作者」自身

・実在の人物(スピルバーグまで)や、本、テレビ番組、映画等が飛び出し、虚実相見える物語展開

・作者が書いた「文章」に、探偵役の作中人物がケチをつけるという、メタ展開もあり

(しかもそれが終盤に活きてくる…と言う…)

 


まあ本格ミステリなので、突っ込んで書こうとしたらネタバレになっちゃうんで書けないんですが、前作同様、「普通には展開しない」くせに、しっかり根のところでは「本格ミステリ」。

参っちゃいますよね、こういうのw。

たっぷり楽しませてもらいました。

 


ちなみに本作は既にシリーズ化して2作目も発表されているとか。

さて、この大向こうは、2作目以降も続くのでしょうか?

 


楽しみ、楽しみ。