鈴麻呂日記

50代サラリーマンのつぶやき

敵はフェラーリではなく…:映画評「フォードVSフェラーリ」

本当は劇場でみたかったんですけどね。大音量で。

ま、外出自粛中に「ヘッドフォン大音量」で観ました。

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既に色々な表で言われてる通り、「VSフェラーリ」という題名だけど、実際の敵は「フォード内部の官僚組織」。

そして史実の通り、

「フェラーリとの勝負には勝つが…」。

 


でも知ってる人は「ケン・マイルズ」を語り伝えていたし(殿堂入りもしています)、こうしてヒット映画にもなって、「伝説」は広がっていくでしょう。

歴史は彼らに微笑んだ…と思いたいです。

 


自粛の日々。

政府や各省庁の動きを見てると、官僚組織の弊害に思いを馳せずにはいられません。

それを乗り越えて、歴史が我々に微笑んでくれることを祈ります。

311の宿題:読書録「ワン・モア・ヌーク」

ワン・モア・ヌーク

著者:藤井太洋

出版:新潮文庫

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本書の舞台は2020年3月。

出版は2020年2月。

解説によると連載は2015年〜2017年とのことです。

 

連載時には「近未来」だったけど、出版時には「リアルと並行するタイムテーブル」だった訳ですね。

それが「狙い」だったのは間違いない。(ヤマは「3月11日」)

…でもまさか「現実」がこうなろうとは!

本書でも焦点の一つとなっている「東京オリンピック開催」は、「現実」の方で延期が決定してしまいました…。

 

じゃあ、本書が面白くなくなったかと言うと、全くそんなことはない。

まず「物語」として圧倒的に面白いです。

女性日本人テロリスト、イスラム国テロリスト、CIA、日本警察…

三つ巴、四つ巴の裏切り、裏をかきあっての追いかけっこは実に読み応えがあります。

スケール感も、作者特有の科学的な裏付けも実に楽しい。

「エンターテインメント」として極上の時間を過ごすことができます。(「但馬樹」は秀逸なキャラです)

 

そして読者への「問い掛け」。

 

新型コロナウイルスで作者が意図した「仕掛け」は現実に裏切られてしまいました。

しかしそこに込められた「問い掛け」は、「今」我々に「現実」のなかで突きつけられているものとオーバーラップします。

 

「311の宿題」

 

今、僕たちはその成果を問われています。

 

一言で言えば「説明責任」であり、「科学に対する理解」であり、「他者に対する想像力」であり、「自分の頭で考え、自らの責任において行動する」ことであり…。

 

<都民だけでも六百万人、心理的には首都圏の三千万人が被災者になる状況で、恐怖を煽る言葉を封じるのは難しい。

それを防いでみせろと但馬は言っているのだ。医師、核物理学の専門家、放射線技師だけでは足りない。画家も、文章を書くものも、一般市民も巻き込んだ対話の場を作るにはどうすればいいだろう>

 

デジタルトランスフォーメーションだって、地方自治主体の政治・行政だって、本当は「311」後の世界の中で日本でこそ積極的に取り組むべきことだったはず。

それを怠ったつけを「今」見せつけられている思いです。

 

まずは「今」を乗り切ること。(それだけでもシンドイ)

その先、「アフターコロナ」の世界でもう1度僕たちは「311の宿題」に取り組まなければいけない。

…そんなことを考えました。

 

いや、エンタメとして無茶楽しめるんですけどねw。

 

 

 

マイルスの生涯をカバーしてるとは思ってませんでした。:映画評「マイルス・デイビス:クールの誕生」

題名が題名なんで、マイルスの精々60年代くらいまでをカバーしてる作品かと思いきや…。(一番「人気」のある時代でもありますがw)

生まれてから逝去するまでをフォローした伝記ドキュメンタリーでした。

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「あの波乱万丈な人生を2時間弱やれるものなのか」

と思ったら、結構まとまってます。

じゃあ、薄いかって言うと、そうでもなく…。

まあ入門編としては、ちょっと駆け足すぎて分かんないとこもあるでしょうが、マイルスやジャズに少し興味がある人なら楽しめること間違いなしです。

 


しかしまあ、カッコいいですなぁ、マイルス。

本作は写真もふんだんに使われてるんですが、どれもこれも「絵」になる。

間違いなく音楽にはノックダウンなんですが(どの時代のもイケてるんですよね、これがまた)、ルックにも惚れ惚れしちゃいます。

 


間違いなく「友達にはなりたくない」タイプw。

でも絶対に人類には必要な人材だったでしょう。

 


と言うことで、見終わった後に、早速昔作ったSpotifyのプレイリストを聴いてます。

最初は「round about midnight」から…。

「アフターコロナ」の指針として:読書録「シン・ニホン」

・シン・ニホン AI×データ時代における日本の再生と人材育成

著者:安宅和人

出版:NewsPicks出版

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「イシューからはじめよ」の作者による「日本の未来像」への提言書。

僕は2週間くらい前からボチボチ読んでたんですが、その間に「新型コロナウイルス」で日本も世界も大騒ぎになってしまいました。

 


作者自身の主張は、極めて幅広い知識と経験に裏打ちされたもので、その実務的な裏打ちのある博覧強記ぶりには圧倒されますが、主張そのものはデータ戦略について一定の知識がある人にとっては目新しいものではないと思います。

…というか、<Society5.0>を含め、日本で言われている「データ戦略」には何らかの形でこの御仁が絡んでるってのが正確なところかなw。

 


ただ「新型コロナウイルス騒動」が進展していく中、

日本政府・各自治体、世界各国の政府、各メディア等々、あらゆる面での情報のやり取りがあり、その中から戦略・施策が打ち出され、さらに分析が加えられて、それを受けて戦略・施策が修正されていく…

というダイナミックさを見ていると、作者が主張するような日本の改革の方向性は、「アフターコロナ」においては強く推進していかなければならないだろうと思わざるを得ませんでした。

 


日本の現在の新型コロナ対策は結構うまくやってると思います。

ただそれは従来から充実していた医療資源、それを支える人的資源の質の高さ、公共衛生に対する国民レベルの意識の高さ等に支えられたものであって、政府や自治体の戦略・施策運営能力が「極めて高い」という感じでもないと感じています。(それが露呈したのがダイヤモンド・プリンセスであり、現時点でも散発的に発生している医療機関での感染拡大でしょう)

情報のダイナミックさを、現場レベルの柔軟な施策展開・運営に繋ぎ切れていない…というのが正直なところだと思います。

(今まで培ってきた医療資源の質量の高さと政府・自治体の対策運営能力。これがウイルス感染の広がりに耐えうるか…というのが、結局は新型コロナ対策の肝なのではないか、と)

 


原文を読めてないので誤りがあるのかもしれませんが、「サピエンス全史」のユバル・ノア・ハラリはこう言ってるそうです。

 


<今回のクライシスでは、2つの重要なトピックにおいてどちらに進むのか、転機を迎えている。

1つ目は全体主義の監視社会と市民のエンパワーメント。

2つ目は国家主義的な独立とグローバル化の連帯である。>

 


この「1つ目」において全体主義的な手法で成果を上げているのが「中国」です。

 


<コロナウイルスとの戦いにおいていくつかの国はすでに無数のセンサーをはじめ国民を監視するツールを既に配置している。スマートフォンの位置情報の取得や顔認証などがこれにあたる。>

 


ハラリはこれに警告を発し、こう言っています。

 


<短絡的に考えると、上記の例では人々はプライバシーと健康を天秤にかけている。しかし、本質的にはプライバシーも健康も両方選ばれるべきなのだ。監視社会を促進することによってではなく、市民をエンパワーメントすることによって我々はコロナウイルスに勝つべきなのだ。>

 


その事例も出てきているとハラリは言います。

でも現状のパンデミックの広がりを見ると、それを素直には受け入れがたい。

そういう動きは確かにある。

でも決定的な力にはなり得ていない…というのが現状じゃないでしょうか?(悲観的すぎる>)

 


本書が示すのは、まさに

「市民をエンパワーメントするために、社会をどう変えていくべきか?」

だと思います。

AI×データを武器として、社会のリソースの配分の仕方に手を入れつつ、未来を支えうる人材を育成していく。

この「AI×データを駆使することで市民(個人)がエンパワーメントされる」ことこそが<アフターコロナ>の時代に不可欠なのではないか、と。

 


ただし懸念点も。

 


<しかし、そのような協調体制を築くためには、信頼が必要だ。科学に対する信頼、。公的権力に対する信頼、、メディアに対する信頼だ。このような信頼は失われている。>

 


ハラリは希望を付け加えます。

 


<しかし危機的状況において監視社会を促進するのではなく信頼を再構築することは可能だ。>

 


そうあって欲しいと、強く願います。

 


*ハラリのツイートは渡辺創太さんの訳を引用し、一部整備しています。

 

映画としては今ひとつかも…:映画評「コンテイジョン」

新型コロナウイルスの感染騒動で「感染についての描写が参考になる」との話も出ている映画。

公開時、スティーブン・ソダーバーグ監督作品ということで気にはなってたんですが、なんとなく今まで見てなかったんですけどね。

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まあ、どうですかね〜。

映画としては「詰め込みすぎ」でエピソードの一つ一つが十分に追いきれない感じがあって、ちょっと「どうかな?」って印象があります。

それぞれは結構エモーショナルな設定だと思うんですが。

ソダーバーグはシャープな絵とテンポの良い物語運びが持ち味の一つだと思うんですが、それがこの物語の場合はマイナスに働いてる印象です。

 


ただ「感染」という観点からは実に興味深い。

作中のウイルスは新型コロナに比べて「潜伏期間が短い」「致死率が高い」という点で異なる訳ですが、

「感染が発生した際の行政(特にCDC)の対処の仕方」や

「懸念される問題点(メディアによるデマの流布、隔離時の食料・日常食品の確保の課題、情報のコントロール、暴動のリスク、医療機関の崩壊etc)」

などが次々と映像化されてて、「今」見ると刺激的なことこの上ない…です。

医療関係者(看護師)が感染防御の徹底を求めてストをするとか、「う〜ん…」。

 


致死率の観点から、新型コロナウイルスがこのような破滅的な状況をもたらすとは思えません。

ただ「次」がどうかは誰にも分からない。

 


「潜伏期間が長く、致死率が高い」ウイルスが出てきた時、世界がそれにどう対処し得るのか?

 


現在進行形中の世界各国での「新型コロナウイルス対策」がその<事前練習>になるとしたら、そのシミュレーションの一つの参考として本作を観ることも出来ると思います。

 


まあ、その前に、とにかく今の状況をなんらかの形で終息させんと、次のことをどうこう言えませんが…。

続きが気になるけど…:読書録「シャーリー・ホームズと緋色の憂鬱」

・シャーリー・ホームズと緋色の憂鬱

著者:高殿円

出版:ハヤカワ文庫

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ベネディクト・カンバーバッチの「シャーロック」もあって<ホームズ・パスティーシュ>は映像化・小説・マンガと活況。

で、その中の一作。

まあ、色々ユーウツなことが多い昨今なので、馬鹿馬鹿しいものを…と思いましてw。

 


仕掛けとしては、

「現代版」

「登場人物の女性化」

ま、正確には全員が「女性」化されてる訳じゃないし、「現代版」(作中の設定は2012年)と言いながら、ややSFっぽい未来感もあり。(これはBBCの「シャーロック」もそうでした)

…が、面白かった。

キャラをうまく立ててるし、それでいてチャンとストーリーもアップデートしています。

本家の長編は「推理編」と「過去編(因縁編)」の2部構成で、この因縁話が退屈なんですがw、本作はそこはスパッと切ってて、展開もスピーディですしね。

 


モリアーティも早々に登場し、ワトソンにも何やら隠された過去が…ってところで<続く>。

さて、続編も出てるんですが、まだ文庫になってないんですよねぇ。(と言うか、出版されたばかり)

 


買うべきか、文庫化を待つべきか、Kindleで入手するか。

 


家族の反応を待って考えます。

萩尾望都のレコードが聴いてみたいw:コミック「薔薇はシュラバで生まれる」

・薔薇はシュラバで生まれる 【70年代少女漫画アシスタント奮闘記】

著者:笹生那実

出版:イーストプレス

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ご自身も少女漫画家をされてつつ(30代で一度引退)、いろいろな先生のもとでアシスタントもされてた作者の回顧エッセイ。

アシスタントものって、ちょっとジャンル化しつつありますかね。(手塚治虫さんを筆頭に)

 


美内すずえ

くらもちふさこ

三原潤

樹村みのり

山岸涼子

etc,etc

 


70年代以降の「少女漫画隆盛期」を支えたビッグネームが飛び出します。

改めて「凄い時代だったなぁ」と。

 


だから本書も「アシスタントの苦労物語」の側面はあるものの、「残酷物語」ではなく、その輝かしい時代を共有した者たちの「青春物語」となってます。

1週間風呂も入らず、徹夜続きでボロボロだったとしてもw。

 


作者がメインでアシをしたのは(もともとファンだった)美内すずえさんなんで、その話が一番多いんですが、作品としての「ヤマ」は、山岸涼子さんが「天人唐草」を描いてたときのエピソードでしょう。

「なるほどな〜」

と感じるところもあって、久しぶりに「天人唐草」、読み返してみたんですが…

…ヤッパきつい。

未だにエグるようなインパクト。

これはまあ、ホント歴史に残る…。

 


70年代から80年代の少女漫画を読んできた人にとっては、懐かしくも共感できる作品と思います。

今のトレンドからはチョット外れてるかな〜。

寂しいことなのか、それこそが彼女たちが成し遂げた成果なのか。

僕には何とも言えませんがね。

 


ちなみに本書には萩尾望都が「作者・作曲・歌唱」したレコードの話が出てきます。

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いやぁ、知らんかったわぁ。

ちょっと聴いてみたい気も…。