鈴麻呂日記

50代サラリーマンのつぶやき

「見方を変えれば…」という話:読書録「シン・日本の経営」

・シン・日本の経営 悲観バイアスを排す
著者:ウリケ・シェーデ 訳:渡部典子
出版:日経プレミアム(Kindle版)

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「<失われた30年>とか言われてるけど、日本は後進国に下落したわけでもなく、まだ世界の経済大国に留まり続けている。それはなぜだろう?」
という疑問から、日本の<強み>を見直してみた…という作品。
まあ、色々悲観的なことを言われていますが、
「見方を変えればこうも言えるじゃん」
って話でしょうかw。
論点について作者ご自身がまとめてくれています。
長いですが、以下引用。


<【本書のメッセージ】  
再浮上する日本には希望がある


※日本は世間で言われるよりもはるかに強い。日本企業は力強くよみがえりつつある。悲観バイアスを持つ人々は、市場や経済がどのように機能すべきかについて米国経済を基準に考えているが、日本は独自の論理で動いている。
※1990年代から 2010年代は「失われた時代」ではない。産業構造または企業経営とその戦略が大きく変わるシステム転換期といえる。
※遅いのは停滞ではない。日本の先行企業は改革を重ねて現在、再浮上している。「遅い」のは、安定と引き換えに日本が支払っている代償である。
※日本企業が世間で言われるよりもはるかに強い理由は、「ジャパン・インサイド」にある。グローバルな最先端技術の領域で事業を展開する機敏で賢い企業が新たに出てきたのだ。
※技術の最前線で競争し、飛躍的イノベーションに貢献する方向へと進む行動変革の道筋を、技のデパート =「舞の海戦略」と呼ぶことにした。
※シン・日本企業は収益性が高く、戦略、企業カルチャー、リーダーシップなどで共通する7つの特徴がある。
※「タイト・ルーズ」理論を使うと、日本の変革が「タイトな文化」の中で起きていることが理解しやすくなる。日本企業は「ルーズな文化」のアメリカとは異なる形で変革してきたのだ。
※日本の企業カルチャーの中心には 3本柱がある。「3つのうち2つ」という原則を使えばタイトな文化の中でも前進が可能になる。また、「 LEASH」という新たな枠組みのもとで、タイトな文化の国において企業カルチャーの変革を成功させる方法が理解できる。
※シリコンバレーやユニコーンなどは日本のイノベーションのお手本にはならない。日本独自のスタートアップ創出の試みが注目される。
※VUCA(変動性、不確実性、複雑性、曖昧性)時代においても、日本は経済的な繁栄、政治の安定、社会の結束とのバランスを保ちながら、未来に向けた新しいビジョンと自信を持って新しいモデルへの道を歩んでいくことができる。>

 

まあ、そうかなぁ
とは思います。
思うんだけど、これを鵜呑みにして浮かれても行かんやろう、とも。
作者自身、「日本(企業・人・社会・政治)が変わらなきゃいけないのは確か」と指摘もされてますからね。
そういう意味じゃ、「高度成長期」「バブル期」と、<何が違ってきているのか>ってのが重要かもしれません。


・業界としての<護送船団方式>は成立しなくなり、個々の企業がそれぞれの<強み>を模索する中からポジションを確保するようになっている。
・<終身雇用制度>は崩壊していないが、緩やかになり、世代が一律に引き上げられるのではなく、成果や能力による処遇・昇格格差が認められるようになっている。


大きいのはここかなぁ。
言い換えれば、「企業」でも「労働者」でも、個々の強さや能力による<格差>が是認されるようになってきた…ということ。
ただ米国のように急速な勢いで行わず、時間をかけて行なってきたことで、大企業の変換ができるようになり、社会の変化も緩やかで、バランスの取れた平和で安定した社会を維持することができた…というのが作者の指摘でしょう。
まあ、この30年の株価の停滞や円安をどう考えるのかってのはあるかとは思いますが。(そこは「悲観バイアス」のせい…ということかもしれません)


ぶっちゃけ「世代が変わった」ってことじゃないかとw。
「昭和」は遠くなり、<懐古>されるものとなったことで、新しい価値観で社会や組織が動くようになってきた。
<懐古>ってのは「よかったなぁ」ですが、そこに戻っていこうとは思ってないからこそのムーブメントですからね。
自分の世代(50代終〜60代初)のことを考えると、それなりの実感はあります。(頑張ってる人は頑張ってますけどね)


こういう本で調子に乗るんじゃなくて、指摘されてることを的確に把握して、しっかりと実行に移していくことが重要なんじゃないかと思います。
「勝ち抜くために、考え尽くし、トライ&エラーを素早く実践していく必要がある」
これが企業にも個人にも求められているのは確かですから。
…大変やね。
まあ、僕も振り落とされんようにせんとね。

設定に無理が…は野暮ですな:読書録「アリバイ崩し承ります」

・アリバイ崩し承ります
著者:大山誠一郎 ナレーター:友木えりこ
出版:実業之日本社文庫(audible版)

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「ゲームの王国」が重量級過ぎたので、ちょっと次は軽いので…ということでチョイスした作品。
本格推理の連作短編集。
ちょうどよかったですw。


腕時計の電池交換のために入った時計店には「時計修理承ります」という張り紙に並んで、「アリバイ崩し承ります」という張り紙が。
ちょうど抱えている事件のアリバイ崩しに悩んでいた新米刑事の<僕>は、藁にも縋る気持ちで店主の美谷時乃に相談をする…


なんで20代の若い女性がこんな複雑なアリバイをすぐに解き明かせるねん
刑事とはいえ、短期間(半年ほど)の間に「アリバイ」が問題なる殺人事件にこんなに遭遇するんかいな
…とか言っちゃいかんのでしょうな。
まあ、
「時間を扱うのが時計屋なんだから、時間トリックの<アリバイ>にもプロじゃなきゃ」
ってのは、分かったような分かんないような…ですがw。


第1話 時計屋探偵とストーカーのアリバイ:殺された女性教授の元・夫のアリバイ
第2話 時計屋探偵と凶器のアリバイ:殺された製薬会社の社員の死の裏には麻薬密売が
第3話 時計屋探偵と死者のアリバイ:<僕>が偶然遭遇した交通事故の被害者の小説家は死ぬ間際に<殺人>を告白する
第4話 時計屋探偵と失われたアリバイ:姉を殺したと疑いをかけられたホステスの妹の容疑を晴らすには
第5話 時計屋探偵とお祖父さんのアリバイ:先代の時計屋探偵が孫娘の訓練のために出した謎
第6話 時計屋探偵と山荘のアリバイ:休暇中の<僕>が遭遇した雪の不可能犯罪
第7話 時計屋探偵とダウンロードのアリバイ:限定ダウンロードの時間と犯行日時のトリック


過去の話である第6話以外は全て殺人事件。
トリックも結構本格的です。
「日常トリック」みたいなので訓練受けてたのに、ガチの殺人事件にも対応可能な時乃さん。
まあ、安楽椅子探偵なんで、死体に直面したりはしないんですけどね。
本格推理は長編より短編の方が僕は好きなので、こういうシリーズは大歓迎です。
続編も出てるんですが、このノリでどこまで続けることができるのかは分かりませんけどね。

結局二人はカンボジアを救うことを放棄したってことかなぁ:読書録「ゲームの王国」

・ゲームの王国<上・下>
著者:小川哲
出版:ハヤカワ文庫(audible版)

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1956年から2023年まで、カンボジアを舞台に、ポル・ポトの隠し子ソリヤと、数学の天才ムイタックの錯綜する人生を追いかけた作品。
出版は2017年ですので、後半は「近未来」を描いていることになります。(「SF」なのはそれだけが理由じゃないですけど)


作品の上巻は、カンボジアの革命前からくクメールルージュ時代が舞台になっていて、かなり辛い展開が続きます。
マジックリアリズム的なところもあって、土を使って戦ったり、輪ゴムが未来予想をしたり、あるいは世代間のわかりあえない行き違いなんかのやりとりが笑えたりもするんですけれども、クメールルージュ時代の歴史の重さが全体として物語を覆っています。
(人口の1/4、200万人が虐殺されてという時代ですから…)
終盤でソリヤがクメールルージュの一員としてムイタックの村を壊滅させることで、二人は決定的に対立することになります。


下巻は近未来の話。
野党のトップを目指すソリヤと、大学教授て脳科学科学を研究しながらゲームを開発するムイタックの対決が主軸となります。
ムイタックが開発するゲームがなかなか面白くて、そのゲームを通じて再会するソリヤとムイタックの対決が物語のクライマックスとなります。


クメールルージュ時代にひとときだけボードゲームを一緒にしたソリヤとムタック
そのゲームの一緒にゲームをした楽しい記憶が結局のところ2人の運命を決定づけています。
あらゆる非道な手段も使いながらも、トップを目指すソリヤは、政権を奪取した上で、ゲームのルールのような公平性に基づいて運営される政治を密かに目指しています。
ムイタックの方はクメールルージュ時代にゲームのルールを使った作った村の自治を経験しており、その失敗からゲームのルールのように世の中動かしていく事は困難であることを悟っています。
クメールルージュが目指した政治の中にも、ある種のゲーム性のようなものはあって、そうしたゲームのルールと、村にある呪術的な世界観や多様な欲望を抱えた人間たちの関係性が、対立し、せめぎ合いながらドラマを展開させます。
長いんだけど、退屈は全然しませんでした。

 

政治をゲームのように公正なルールで行うことができるのか


作品の大きなテーマはこれなんでしょうが、その根本には主人公二人が一緒にプレイしたゲームの幸福な記憶があり、ムイタックの作ったゲームで<再戦>した二人はそのことに気づきます。
だから悲劇的なラストも、もしかしたら二人にとっては…


でもまあ、取り残されら人々にとっちゃ、
「ええ?」
って話かもw。
なんか美しい話にしてるけど、僕らはこのカンボジアの現実に置き去りやん!
恋愛ってそんなもんかもしれんけどね。
壮大な歴史物語が語られながら、煌めくような一瞬でその全てを捨て去るところに「SF作品」としての冴えがある…とも言えるかも。
主人公二人はカンボジアの土着的で呪術的な考え方に対抗する論理的な人間なんだけど、その彼らが「ゲーム」の呪術的な時間に取り込まれているという構図。
傍迷惑な話だけど、惹かれるんだよな、困ったことにw。


とにかくパワーがあって、読み応え/聴き応えのある作品なのは確か。
「地図と拳」も読むかなぁ。
あれも長いんだよなぁ。
…と逡巡してるとこです。
audible 待ち?w

う〜ん、サマンサ/ジャービスにはまだちょっと距離があるかな?:読書録「機能拡張」「その仕事、AIエージェントがやっておきました」

・機能拡張
著者:坂田幸樹
出版;クロスメディア・パブリッシング(Kindle版)

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・その仕事、AIエージェントがやっておきました。ChatGPTの次に来る自律型AI革命
著者:西見公宏
出版:技術評論社(Kindle版)

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chatGPTの最新機能を確認してみて、勢いで映画「her」を見た流れで読んだ本二冊。
ビジネス寄りの本ですが、正直僕自身のサラリーマン生活の中でAIエージェントを使いこなすことはないと思ってるんで、まあ、これも勢いですw。

「機能拡張」の方は今後ビジネスの現場に生成AIが入ってくることで、仕事やビジネスパーソンの在り方がどう変わってくるか…ということを考察した本。
まあ、題名の通り、生成AIを人間の「機能拡張」として位置付けて、それをどう活用していくかってことを論じています。

「その仕事、AIエージェントがやっておきました。」の方は、具体的に「AIエージェント」というものがどういうものなのか、その機能や動き方まで踏み込んで解説しつつ、既に稼働しているAIエージェントを紹介しながら具体的な動きをトレースしてくれます。
ま、ちょっと具体的すぎて、理解が追いつかないところも少なからず…ではありましたがw。


「その仕事〜」では「AIエージェント」をこう定義しています。

<A Iエージェントとは何かをざっくりと説明とすると、人がいちいち指示をしなくとも、自分でやることを考えて、様々なツールを活用して目標に向かってタスクをこなしていく A Iの仕組みのことです。>

chatGPTでも詳細な説明をしなくても成果を得ることはできますが、割と「指示」から得られる「成果物」の精度については「あなたまかせ」なところがあります。
その精度を上げるためにプロンプトを工夫したりしてるわけですが、「AIエージェント」は<指示>から<成果物>の過程をより構造的に組み上げる(複数のツールを活用したりする)ことで、「成果物」の精度を上げるようになる
…って感じかなぁ。
GPTsが目指しているのは、こういうAIエージェントを広く開発していこうということでしょうし、AppleはiPhoneやMacに「窓口」となるAIエージェントを作ろうとしてるんじゃないかと、僕は思っています。
そのためにはどういう機能をどういう風に組み上げていけばいいのかってことが「その仕事〜」では論じられている…と言っていいのかしらん?
「こりゃ、簡単ではなさそうやな」
と思っちゃいましたけどw。


「機能拡張」では「仕事」を
問いを立てる
インプット
変換
アウトプット
判断
の5つのプロセスに整理し、そのうち「インプット」「変換」「アウトプット」は<生成AI>に任せた方がレベルが上がると指摘しています。
まあ「置き換えられる」と言ってもいいんですけど、仕事全体が生成AIに取って代わられるわけじゃないという見立てです。
従って
人間に求められるのは「問いを立てる」「判断」というタスクになる
そのためには「一般教養」と「一般常識」を身につける必要がある
ではどうすればいいのか
…ということが論じられます。

一言で言えば「経験」(試行錯誤)…なんですけどね。
これってここのところズッと言われてることではあるんですが、生成AIが更にその重要性を際立たせてしまう、ということです。
「まあ、そうだろうなぁ」
ですw。
「AIエージェント」なんかが活用されるようになったら、尚更でしょうね。
インプット・変換・アウトプット…って、AIエージェントが自律的にやることが求められる部分ですから。
ここら辺が生成AIによって大きく変わりつつあるってのは、見立てとしては間違ってないようにもいます。


とはいえ、「ジャービス」や「サマンサ」にはまだ遠いかな?
ビジネスってのは結構論理的な分野ですから。(「論理的なことが求められる」と言った方がいいかもw)
一般生活にまで広げたエージェントとなると、もう少しハードルあるでしょう(「眼」の問題もある)。
「AIエージェント」と言えるまで自律的なものがどこまで実用化されるかはともかく、仕事のタスクの一部に生成AIが入り込んでくることは、それほど先のことじゃないかもしれないですけど。
それはそれで楽しめたら…というのが僕のスタンスです。

「源氏物語」が二人の関係において持つ意味:読書録「紫式部と藤原道長」

・紫式部と藤原道長
著者:倉本一宏
出版:講談社現代新書

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大河ドラマ「光る君へ」の時代考証担当がまとめた主人公二人に関する考察本。
まあ、「便乗本」っちゃあ便乗本ですが、作者としては思うところもあるようです。

 

<紫式部と道長が二〇二四年の大河ドラマの主人公となることが決まったとき、平安時代を研究する者として、この時代の歴史にもやっと日が当たる時が来たと喜んだものである(中略)。しかし、ドラマのストーリーが独り歩きして、紫式部と道長が実際にもドラマで描かれるような人物であったと誤解されるのは、如何なものかと思う。この本では、ここまでは史実であると言う紫式部と道長のリアルな姿を、明らかにしていきたい。>


<あれから五年、何と本当に紫式部と道長が大河ドラマで取り上げれることになった。こんなことが起こるまで長生きして良かったと思うと同時に、この二人の像が、ドラムのストーリーや演じる俳優さんのイメージから受ける視聴者の反響によって、実像からかけ離れてしまうことを危惧している。ドラマはドラマとして大いに楽しんでいただくとともに、リアルな平安時代の様子や、紫式部と道長の人生も学んでいただきたいものだと、願ってやまない。>

 


まあ、紫式部の名前は「まひろ」じゃないし、紫式部と藤原道長が幼少期に出会ってたってこともまずないでしょう。
あの時代の貴族の女性たちが素顔を出して、街中をふらふら歩いてるってこともねぇ。
まあ、「ドラマはドラマ」と割り切ってもらえればいいんだけど、研究者としては釘も刺しておかんとね…というところでしょうかw。


紫式部と藤原道長の生涯を追いつつ、当時の宮廷政治の状況、「源氏物語」の同時代的な位置付けなんかもフォローして、全体として「光る君へ」の時代の流れをカバーできる内容になっています。
まあ、範囲が広すぎて、「もうちょっと踏み込んで」ってところもなきにしもあらず、かな?
ここら辺、冲方丁さんや山本淳子さんの作品を事前に読んでるんで、余計に物足りなく感じるかもしれません。
作者自身の複数の著作・論文をまとめる形で一冊にしてるようですから、どうしても駆け足になっちゃうってのはあるんでしょうね。


「光る君へ」との関係でいうと、「源氏物語」の位置付けの解釈が読みどころかもしれません。
(貴重だった紙の使われ方から)「源氏物語」は藤原道長の依頼によって書かれた…という立場を取りながらも、彰子に仕え、道長の動きを見ることで「源氏物語」という作品自体が時代の流れを取り込んだ<厚み>のあるものになったし、それを使って一条天皇と彰子の仲を縮めることで道長は権力の階段を上り、盤石なものとしていった。


<紫式部は道長の援助と後援がなければ『源氏物語』も『紫式部日記』もかけなかったのであるし、道長は紫式部の『源氏物語』執筆がなければ一条天皇を中宮彰子の許に引き留められなかったのである。道長家の栄華も、紫式部と『源氏物語』の賜物であると言えよう。>


政治的意図における「源氏物語」の位置付けは、「枕草子」にも言えることで、それは定子時代を思い出させることで藤原伊周・隆家兄弟をフォローするものであったのでは、
とか、
「源氏物語」執筆後も、紫式部は彰子に仕え続け、彰子と実資の窓口となり続けていた
とか、
なかなか面白い見方も記されています。
冲方さんの小説では、彰子は道長と対立するようになり、その彰子を紫式部が支えた設定となっていますが、中立派である実資の窓口が紫式部であった…という解釈は、大河終盤での紫式部と道長の関係にどう影響するのかなぁ。
実資はロバート秋山やし…w。


ここ数年の大河(僕にとっては「鎌倉殿の13人」以降)は、ただ単にドラマを見るだけじゃなくて、その「解釈」を楽しむことも楽しみの一つになっているように思います。
放映後の「X」とか、参考になりますしね〜。(「光る君へ」に関してはポストが荒れてないのもいいです)
その「解釈」遊びの副読本として、こういう本もすごく役に立ちます。
さあ、これからどうなるのかな〜。

かなり「力技」ですなぁ:映画評「パレード」

「新聞記者」「余命10年」の藤井道人監督・脚本によるNetflixオリジナル映画。
東日本大震災を背景にした設定になっており、なかなかの意欲作です。

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新聞記者・美奈子は気がつくと海岸で横たわっていた。
街は瓦礫の山と化しており、彼女は息子の行方を探し歩く。
不可解な様子に戸惑う中、遊園地で住む人々と出会い、彼女は自分が死んでいることを知る。
現世に何か心残りのある死者が、その世界に集っていると言うのだ…

 

 

もちろん主人公は自分の息子の行方を探すわけですが、集ったそれぞれの「心残り」も語られ、それぞれの人生の断片が錯綜する作りになっています。
そのうちの1人、リリー・フランキー演じる人物は映画プロデューサーで、その流れで集った人々で映画を撮ろうと言う話になり、
途中から仲間になる自殺した少女(森七奈)は映画的な才能を見せ…
ってあたり、物語のトーンが変わってきます。

このノリに乗れるかどうかっていうのが大きいでしょうね。
僕はちょっと微妙な感じでした。

 

全体的に絵のトーンはよく出来ていて、カメラはホント素晴らしい。
見てて惹きつけられるショットも少なからずあって、作品全体の印象はすごく良いんですけどね〜。
なんかそれで設定や脚本の粗さを強引にねじ伏せた感じも…w。
エピローグでさらにそれを強引に引っ張ったと言うか、なんと言うか。
いや、そう言うのも嫌いじゃぁないんだけどさ。
田中哲司はいい仕事してます。


悪くはないですよ。
好きな人は好きだと思います。
僕個人としては、もうちょい脚本を練って欲しいってとこ。
面白くは見させてもらったんですけどね。

風来坊なのに事件に遭い過ぎ:読書録「蟬かえる」

・蟬かえる
著者:櫻田智也 ナレーター:浅井晴美
出版:東京創元社(audible版)

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「サーチライトと誘蛾灯」に続く、昆虫好きの風来坊(?)・エリ沢泉シリーズの第二作(「エリ」は「魚」へんに「入」)。
短編5作を収録した緩い連作短編集になります。


蟬かえる:地震ボランティアの青年があった少女の幽霊
コマチグモ:同じ日に、別々に救急車を呼ばれた母娘をめぐる謎
彼方の甲虫:エジプトから来た留学生の死をめぐる謎
ホタル計画:蛍を呼び戻そうとしていた青年の失踪
サブサハラの蝿:アフリカから帰国した国境なき医師団員が抱えた苦悩と計画


昆虫好きで、ふらふらと色んなところに顔を出す、気の弱そうな青年(=エリ沢)が主人公の割に、遭遇する事件は結構ヘビーなものが多いのがこのシリーズ。
「名探偵は事件を呼ぶ」
なんですけど、それにしてもなんでやねん…って感じがしなくもないw。
ただ作品のもつ「苦味」が、このシリーズの<読みどころ>でもあるんですよね。
読み終えると、ついつい次の作品に進んでしまい、一気に読み/聴き終えてしまいました。


個人的には表題作の「蟬かえる」が一番心に残ったかな。
ラストシーンのイメージが鮮烈でした。
本書では主人公の「過去」もちょっとだけ顔を出すんですが、それにしても相変わらず「何者」なのかはよく分からない。
ポ〜ンとエジプトに行っちゃうあたり、極貧青年ってわけでもなさそうだし…。


まあ、そこらへんも追い追いってことなのかな?
評判は良いようなので、シリーズは続くでしょう。
まだ3作目は出版されてないようですが、気長に待つことにします。