鈴麻呂日記

50代サラリーマンのつぶやき

読書録「危機の指導者チャーチル」

・危機の指導者チャーチル
著者:冨田浩司
出版:新潮選書



現役外交官による「チャーチル」伝。
スタンスとしては、最新の研究を反映して、「第二次世界大戦において英国を勝利に導いた偉大な政治家チャーチル」像に修正を加えながらも、(題名にある通り)「危機の指導者」として出色であるチャーチルを分析する内容になっている。
大戦初期に首相を拝命した際のことをチャーチル自身が、



〈これまでの人生すべてがこの時、この試練のための準備に過ぎなかったかのように感じた〉(p.14)



と記しているが、そう言う意味では、本書も「この時」から遡って「チャーチル」を読み直している構成になっていると言えるだろう。
まあ、だからこそ「分かりやすい」ってのもあるけどね。
そう言う視点がないと、半世紀も政治家を務め、その栄光の時(第二次世界大戦)までは決して恵まれているとは言えない彼の人生をおいかけるのは、ちょっと苦痛だったかもw。
(その苦難が、すべてそのときのためだった、ってのは、確かに劇的ではあるが)


本書を読むと、チャーチルと言う人物がナカナカ癖のある キャラだったのが分かる。
政治家としての前半生が思うままでなかったのも、確かに不運もあったが、その特異性による影響も少なくない。
ただその中で培われたものが、彼を「危機の指導者」に育てたのも事実。
大器晩成とも言えるけど、こういう苦難を乗り越える政治家となるには一定の経験が不可欠ってコトかもね。
ここら辺、40を越えてから大物となったユリウス・カエサルを思い出させた。
(キャラ的には多分に「子供っぽさ」を持ってるんだけど)「大人の政治家」って感じだよ。


作者はチャーチルから学ぶ危機の指導者の資質として、



⑴コミュニケーション力
⑵行動志向の実務主義
⑶歴史観



を挙げている。
その一方で、彼を生み出し、活かした英国を、「人治の国」とも書いている。


果たして今の日本に「危機の指導者」が必要なのか?


この問い自体が考えさせられるのだが、同時にそれを活かせる国なのかってコトも思わざるを得ない。
安易な待望論が全体主義的な危険性と裏腹であるコトは、田原総一朗なども指摘するところであり、同種の懸念を僕も感じる。
ポピュリズムとファシズムは似たモノ同志ってところがあるからねぇ。


チャーチルもまた、大衆から愛された政治家であった。
チャーチルもまた、国民を信頼した。



〈危機に際し、英国はチャーチルを指導者として選んだ。(中略)そして同じ国が、戦争指導者であるチャーチルに深い敬意を覚えつつも、45年の総選挙においては、新たな指導者を選ぶことを躊躇しなかった。筆者は、右の二つの事例に、等しくこの人治の国の懐の深さを見る。〉(p.300)


政治はその国民以上のレベルにはならないと言う。
今の日本の政治の混迷に、大戦時の英国民の選択の深みを考えさせられる。


今は危機の時ではない。


そのことを祈ったほうがいいのかも…。