・報道災害【原発編】 事実を伝えないメディアの大罪
著者:上杉隆、烏賀陽弘道
出版:幻冬舎新書
震災からどのくらい経ってからだろう?
枝野官房長官が初めて現地に入った時の写真を見た。
白い防護服に身を包んだ、完全防備の姿。
対する現地の被災者達は普通の格好だ。
愕然とするとともに、僕自身の民主党(少なくとも現政権)に対する期待は全く失われた。
確かにリスクを考えればああいうスタイルを取る必要性もあったのかもしれない。
しかしながら政治的にはありうべからざる姿であったと思う。
少なくとも前線に立つ人間が晒していい姿ではないだろう。
正直言って、あの瞬間、枝野氏の政治生命は絶たれ、政権は一気に崩壊するものと思った。
メディアがコレを許すはずがない、と。
しかしそんな風に事態は流れていない。
流れるはずがない。
なぜならば震災後、大手メディアの人間は現地から一斉に避難していたのだから。
そのような人間に、枝野氏のあの姿を批判する資格はないだろう。
ましてや彼らはそのことを殆ど語っていないのだから。
(避難した自分たちの立場を表明し、そのスタンスから報道するのならまだマシだろう。その場合、まず避難区域に対するケジメが不可避ではあるが)
正直言って、上杉氏の言動には賛同できないことも少なくない。
「危険性を誇大に言い過ぎる」
という意見には頷ける部分もある。
事後的な解説というスタンスからは、そういう批判がされてしかるべきであろう。
しかし「今その瞬間」においてはどうか?
僕は上杉氏を支持する。
「この瞬間、考えうるリスクは何で、それを回避するためにはどうすればいいか?」
必要なのはそういう情報であり、事後的に「正誤表」が配られても、それはその瞬間においては何の役にも立たない。
多様な情報が速やかに提示され、その比較において、自らの行動を選択する。
そのためには「多様性」を確保する存在が必要である。
上杉氏(あるいは「自由報道協会」)はその役割を担っている、というのが僕の意見だ。
まあ、今後は色々あるだろうね。
こういうのには揺り返しは不可避だし。
しかしそれでも、5、6年前よりはよくなってるような気もするよ。
電力各社の「やらせメール」の問題や、そこから波及した保安院の裏工作なんかは、情報の多様化の流れがなければ表面化しなかったかもしれない問題だからね。
「隠そう」「押さえよう」と思っても、対応しきれない。
そのことが認識されることで、はじめて次の段階に行けるのかもしれないなぁ。
本書を読んでると時々猛烈に腹が立ってくるときがある。
でもそういう社会、メディアを選んできたのも、また我々。
そのことを前提として、何とか前に進んで行くしかない。
まあ、そういうことです。