鈴麻呂日記

50代サラリーマンのつぶやき

読書録「ノボさん」

・ノボさん 小説 正岡子規と夏目漱石
著者:伊集院静
出版:講談社



「さあ、もういっぺん痛いと言うておみ」



死去した子規の両肩を抱くようにして母・八重が言った言葉が胸を打つ。
子規と漱石の友情を描いた小説。
だがそこには息子・子規の「人生」を見つめ、全てを捧げる母・八重の物語が重ね合わせられている。
母・八重と妹・律の献身あればこその子規。
漱石や鴎外たちを先達するように駆け抜けた子規の人生ではあるが、そこには「外」からの雑音を排した八重の「決意」があったのだ、と。
いやぁ、伊集院静らしいっちゃぁ、らしいわ。w。



郷土(松山)の偉人ではあるけど、「正岡子規」を強く意識するようになったのは司馬遼太郎の「坂の上の雲」を読んでからだ。
もっとも最初に読んだ時は、子規の死後の日露戦争の経緯の方が面白くて、前半は「ちょっとタルいかなぁ」と思ってたくらいなんだけどねw。
それが何度か読み返すうちに、むしろ子規の「生き様」の方が気になるようになって、今では子規の死後の物語はなんだか物足りないような気分にすらなっている。
これは多分、司馬遼太郎自身の思い入れもあるんだろうとは思うんだけど。
だからこそあのラストがある。



ある意味、「近代日本文学」を作り上げた子規の「闘い」は「坂の上の雲」が十分に描ききっている印象がある。
だが「近代日本の構築」という主題に囚われた分、あるいは子規を描くには少し「重く」なっちゃたトコロもあるのかもしれない。
子規の持っている、魅力に満ちた「陽性」と「楽天性」。
勿論、司馬氏もそのことは何度も指摘してるんだけど、小説の枠組みがソレを浮立たせるようなものではなかった様に思う。



伊集院氏の本作はそれを、「漱石との友情」という視点から、「青春物語」として描き直すことで描き出しているって感じかな。
人々に愛され、人々を愛した子規。
その果てに「母と子」の物語が立ち上がってくるってのは、まあご愛嬌かなw。
いや、全然悪くないんだけどね。



(子規が「近代日本史」に持った意味、漱石や鴎外との文学史的なつながり・・・といったところはもう少し切り込んで欲しかった気もするんだけど、それは司馬的なアプローチであり、伊集院氏の得意とするところではないいだろうな)