鈴麻呂日記

50代サラリーマンのつぶやき

読書録「東京タワー」

・東京タワー 〜オカンと僕と、時々、オトン〜
著者:リリー・フランキー
出版:新潮文庫



「絶対泣かされん」
と思ってたんだけどなぁ。
ラスト数十ページ。
やられました。
クソー・・・。



単行本が出たときは、「面白そうだな」と思ったんだけど、すぐに大ベストセラーになったのを見て、「文庫になってでいいか」と天邪鬼を発揮。

文庫になってすぐに購入はしたものの、誰も彼ももが読んでる「お涙頂戴もの」に何か触手が動かず、放置。

結局、本の整理をする中で、読まずに売り払うかどうか逡巡した末、やっと読んだわけです。



いや、思ってる以上にいい本だった。
ストーリーの骨格は勿論「お涙頂戴」なんだけど、予想以上に作者の「家族」「親子」「人間」「社会」等に対する考察が含まれていて、そのことが印象以上に作品の厚味を増してるように感じた。

勿論、それぞれの考察が哲学的に高尚なものって訳じゃない。
そうじゃないけど、シッカリと「実感」にはつながっているようなところがあって、それが作者の「オカン」「オトン」との関係に重なって、読むものに問いかけてくるわけだ。

「あなたはどうですか?」

と。



だから正直、あんまり感想を書きたくはないってのはあるね。
気恥ずかしいもんw。

そんなものを一冊の作品に仕上げた作者の天晴れな「マザコン」振りには頭が下がる。
多かれ少なかれ、誰もが「マザコン」なんだからさ。



リリー・フランキーは63年生まれらしいから、ほぼ僕と同世代(僕は65年生まれ)。

勿論生まれも育ちも嗜好も全く違うんだけど、時に自分に重なって見えるようなところがあるのは、そのためかな。

特に大学時代のグダグダ振りは、「共感」って言うよりは「恥ずかしい」って感じだった。
僕が大学生の頃、リリー・フランキーもあそこらへんで燻ってたわけだ。
どっかの雀荘で一緒になってた可能性もあるよな、これは。

(もっともココまで僕はグダグダが徹底できなかった。それが今の立ち居地の差につながるとも言えるけどw)



作者が言うように「親子」になるのは簡単だが、「家族」であり続けることには努力が必要。

自分の親を考え、子供たちを見ると、そのことを痛感する。
いや、ホントに。



ちなみに僕は結構この「オトン」は好きだな。

行き着いた先の「オトン」と「息子」の有り様は、「いいなぁ」と思うんだけど、どうかね?

あんな「オトン」にはなれんけどねw。