なかなか評判が良かったので見に行こうとは思ってたんですけど、上映時間を見たら160分。
長いなぁと思って公開の最初の週で見るのはスキップしてしまいました。
でもやっぱり面白い、時間も感じないっていう感想がちらほら見られたので、改めて今週行ってみることにしました。
いや面白かったですよ、本当に。

(ChatGPT)
概要
「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」「リコリス・ピザ」のポール・トーマス・アンダーソン(PTA)の2025年作。レオナルド・ディカプリオ、ショーン・ペン、ベニチオ・デル・トロ、レジーナ・ホール、テヤナ・テイラー、チェイス・インフィニティらが出演。トマス・ピンチョンの『ヴァインランド』に触発された設定で、父と娘、抵抗運動と国家権力、過去の選択のツケを、アクションと風刺で縫い合わせる。撮影はヴィスタビジョンで、PTA作品として初のIMAX上映フォーマットも採用され話題に。
あらすじ
若き日、急進グループ「French 75」にいた“パット(のちのボブ)”とカリスマ闘士パーフィディアは恋に落ちるが、移民収容所の脱走支援や破壊工作を追う治安将校ロックジョー(ショーン・ペン)に執拗に狙われ、やがて裏切りと壊走で仲間は瓦解する。16年後――名前を変え、オフグリッドで暮らす元革命家ボブ(ディカプリオ)は、思春期の娘ウィラと人目を避けて生きている。ところが過去の宿敵ロックジョーが“出世”して再登場し、ウィラが行方不明に。ボブは古い同志や、コミュニティを守る師範セルヒオ(デル・トロ)らの助けを借り、軍・民兵・極右ネットワークが渦巻く街を横断して娘を追う。父のダメさと執念、娘の自立心がせめぎ合い、DNA検査や秘密合言葉が絡む再会の局面へ――という流れで、父娘の「次の一手」が問われていく。
ほんと時間はあまり感じませんでしたね。160分なんだけど。
意外だったのは、パートが思ってるより長かったこと。
プリオが娘とを拐されてそれを追いかけるアクション・コメディだと思ってたんですけど、その前段階、デカプリオと恋人パーフィディア、仇敵との因縁の話、っていうのが結構ありました。
「う〜ん長いな、こんなに要る?」
と最初はと思ったんですが、存外このパートが面白かったです。
というよりも、ここがまあ言ってみれば作品のなのかもしれないなぁとも。
まあ、僕の立ち位置ってのもあるけど。
ショーン・ペンが演じる敵役とパーフィディアはいろいろな事情があって関係を持つことになるんですけど、この二人は敵対しながらもある意味「支配と暴力」に取り憑かれてるという共通があるんですよね。
革命を目指すパーフィディア
体制の側から秩序維持を担うロックジョー
にはそれぞれの理想とは別に「暴力と支配」に傾斜する性向がある。
このことが、結局パーフィディアが娘を捨てて、出ていくことにもなるし、最終的に組織を裏切ることにもなる。
最後にはロックジョーの庇護を離れ「暴力と支配」からは身を遠ざけることになるんだけど、その後彼女は後悔の日々を送ることになる。
この前段の部分があっての後半になるわけです。
後半はロックジョーとの追いかけっこっていうことで、その追いかけっこが割とコメディ、コメディというよりはクスッと笑えるユーモアタッチに描かれていて飽きません。
デカブリオの演じるボブは父親としても今一つパッとしないダメ男だし、ヒーローっぽいスカッとしたアクションもないんですけど、それでもなんとなく最後まで見てしまうっていうのは、作品の出来がいいところでしょうね。
今のリベラルに対する皮肉みたいなものが合言葉のギャグでぶつけられているあたりもニヤリとさせます。
若き日のディカプリオたちの革命活動というのは、若さゆえの暴走みたいなところもあって頓挫するわけですけど、でもそれがベニチオ・デル・トロが取りまとめをしている不法移民たちのコミュニティの今につながっているという点においては、後先考えない理想が何かを生み出しているということでもあるし、その何かによって今のディカブリオは守られるというところもあるって感じかな。
暴力と支配からパーフィディアが抜け出し、の日々を送っているのとは違って、力と支配を追い詰めたロックジョーは、ある意味、狂気すれすれのところまで行っていて、これをショー・ペンが実に実に楽しそうに演じてくれます。
ダメ男なんだけれども、なんとか娘のために走り回っているディカプリオと、この狂気すれすれのところに行っているショーン・ペン、そしてコミュニティのまとめ役になっているデル・トロ。
この3人がそれぞれの父性を見せてくれるっていうのが、作品の一つの構図になっています。
母親になりきれなかったパーフィディアと対照的に。
すごく面白くても本当に作品としてはよくできてるなぁと思うんだけど、気になるといえば、革命とかビジネスとか軍隊とか、そう言ったものの裏側にあってそれらを支える、子どもを育てたり、食事をしたり、生きていくための「ケア」の部分の扱われ方かな。
あんまりそういうところが見えなかったんで。
ディカプリオは革命より子育てを選ぶわけだけど、なんか途中で「自分は髪結もできない」みたいな、古い家族観に乗っかったみたいなこと言ったりしてます。
僕の父親でさえ、戦後すぐの頃は妹たちの髪を結ったり、着付けをしたりしてたっていうのがありますからね。(僕は出来んけど)
なんかそこら辺、もっとケアのところに踏み込んだ視点っていうのが欲しかったかな。
パーフィディアはこのケアを担うところから逃げていった人間でもあるわけだから。
だからこその後悔でもあるんだろうしね。
(普通、子供ができてケアから逃げ出すのは「男」の役回りになることが多いんだけど、そこを逆転されてるとこは面白い)
一方で、デル・トロが担っているコミュニティなんていうのは、不法移民たちの生活の面倒を見ていくという点では、ケアにもしっかりと目を向けていると言えるのかもしれません。
だとしたら、新しい世代の若者たちがケアにまで踏み込んだ革命に取り組んでいくっていうことを指し示しているのかもしれないのか。
最後に至るまでディカプリオはなんかパッとしないんだけど。
ロートルにそこまで期待しちゃいかん。彼らは彼らで頑張ったんやし。
ってこと?W
いろいろなことを考えさせられたし、それでいて退屈せずに160分の長丁場魅せてくれるいい作品だと思います。
見どころは、ショーン・ペンw。
#映画感想文
#one_battle_after_another