鈴麻呂日記

50代サラリーマンのつぶやき

笑ったはずのイエスを聖書の中から探し出す試み:読書録「イエスは四度笑った」

・イエスは四度笑った
著者:米田彰男
出版:筑摩選書(Kindle版)

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土曜日の朝日新聞の書評欄で本書が紹介されていました。
題名に興味を覚えて読んでみたら、なんと著者は僕の高校の大先輩。
別に忖度じゃありませんがw、読んでみることにしました。

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冒頭で紹介されるのが「グノーシス派」による「ユダの福音書」。
最近発見された古文書の紹介と言うことになりますので、
「なるほど、新しい資料の中にイエスが笑っていたシーンが登場するのか」
前のめりになって読み上げ進めたら、まぁこれはヒッカケでしたw。
確かに「ユダの福音書」の中でイエスは笑っているのですが、この笑い自体は作者が「イエスの笑い」として考えるものとは違っています。
むしろ「ユダの福音書」が紹介されているのは宗派の理論や教義、組織の論理や都合に合わせて史実の方が歪められる…と言う事の事例として紹介されています。
(実はユダは裏切り者ではなくて、イエスの最も忠実な弟子であった…とか言う設定は、割とドラマチックで心惹かれるところもあるんですけどねw)


本書の内容は、椎名麟三が、かつて嘆いた「イエスの笑い」が聖書の中で記載されていないと言う提議をきっかけとして、聖書の中からイエスの笑いを蘇らせようと言うものです。


<正典福音書の中にイエスの笑いの記事が見い出せないことを椎名が残念に思い、悲しんだのは、彼を「嘲笑した」人が思い込んだ理由によるものではない。そうではなく、イエスの笑いの記事の欠如によって、「イエスが何に対して笑ったのか」を知り得ないと思ったが故の悲しさだった。本書の最大の目的は、この椎名の疑問「どんな時、どんな事に対してイエスは笑ったのか」、椎名がもはや知り得ないと結論を出したその事柄に対して、現代聖書学の成果を駆使しながら、想像力を働かせて、可能な限り具体的に解明することである。>


この「現代聖書学の成果」っていうのがなかなかすごくて、そこから導き出される聖書が描いているシーンの具体的な姿みたいなものが実に興味深かったです。
まぁ端的に言えば「ユダの福音書」がグノーシス派の教義や組織論理によってイエスの姿をゆがめていたように、正副福音書も成立していく中で正統派カトリックの教義や組織方針の中が史実としてのイエスの姿を歪めていったと言うことを前提にしています。
大工出身で闊達な笑いやユーモアを体現していたイエスの姿を、宗教として教義を固めていったり、布教するための論理構築をする上で、生真面目な上に立つ人物として修正していく流れとなり、その結果、「笑い」も含めて、感情の豊かなイエスの姿が排除されていった…といった感じですかね。
ゲラゲラ笑ったり、ユーモアたっぷりの例え話で煙を巻いたりするような人物は、目の前にいればすごく感化されるところがあるんですけど、文章だけになるとちょっと伝わりにくい。
そうなると上の立場から説教臭く真面目な顔で語る人物にしたほうが教義としては箔がつく…ってことかな。
詳細にはいろいろあるんですけれども、煎じ詰めれば。


聖書学って学問としたすごく地味だと思うんですけど、その成果としてこういうドラスティックな「イエス像」の転換を見せてくれるっていうのはなかなか面白かったです。
聖書の言葉って結構わかりづらいところもあるんですけど、作者の解説でストンと心の中に落ちてくるようなところもありました。
…というか、
「聖書、もっとわかりやすくしてくれよ」
と思わなくもないけどねw。


ということで、読み終わったときに思ったのは、
「中高の聖書の時間、こういう感じでやってくれたら、もっと面白かったのになぁ」
と言うちょっとした恨み節でもありましたw。
まぁ、あの時間がなかったら、この本を読むこともなかったと言うのは確かにあるんですけど。