鈴麻呂日記

50代サラリーマンのつぶやき

「師匠」と重ねると、立川談春のスタンスが際立って来ます:読書録「赤めだか」

・赤めだか
著者:立川談春
出版:扶桑社(Kindle版)

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出版されて評判になった頃に読んでるんですけど、志らくさんの「師匠」を読んだので、もう一度読んでみることにしました。


最初に読んだとき前座の落語家さん達の青春物語と言うところが、新鮮な読み物になっていました。
今回読んでもその印象は変わりません。
まぁ、落語家の青春っていうのが本書以降、本書をなぞる形である種パターン化してきたっていうのはあるかもしれませんけどね。
談春さん、志らくさん、それぞれまぁ言い分はあるでしょうが、志らくさんの方がなくなった談志師匠の考えをフォローしてるように読めるっていうのは後出しジャンケンだからかな。
むしろ談志さんが生きてる間に、これを出版した談春さんの凄さっていうのはあるかもしれない。
(本書に関する談志さんの感想は「師匠」にちょっと出てます)


今回読み直して深く心に響いたのは、青春物語の方じゃなくて、この本が抱えた時点での出来事の方でした。


1つが真打試験に対する談春さんの厳しい考え方。
このパートは、談春さんが師匠のことを考えて書いていると言うスタイルになっていますが、実際にはかなり談春さんの考えが強く出ていると思います。
事実談春さんのお弟子さんて、真打に多分ほとんどなれてないはずですから。
談春は談志の芸を深める方向に進んだ。
と言う志らくさんの寸評を思い出します。


もう一つは、最後の小さんさんと談志さんの関係を描いたエピソード。
ここは最初に読んだ時も深く感動させられたんですけど、もしかしたら今回読んだ方が強く心を動かされたかもしれません。
本書で描かれているのは、談志の師匠への深い思いと、師匠と弟子の間にある強いつながりなんですが、今読むと、そこには当然談志さんと談春さんが重なり合うわけです。
志らくさんと談志さんの話は「師匠」に描かれていますが、当然談春さんにもその思いはあったでしょう。
でも改めてそれを書かなくてもここにしっかりとその事は書かれている。
そんな思いがしました。


談志さんがいなくなって、まぁ志の輔・談春志らくがいて、<今>の立川流は磐石。
…でもその次は?
そこはわからないなぁ。
それぞれが今模索しているところなんだろうなとは思います。


落語は…大丈夫じゃないかな?
だってほら、春風亭一之輔さんとか出てきてるしw。
少なくとも僕の生きている間は楽しめるように思います。
そっから先の事は、まぁ知ったことじゃないかw。