鈴麻呂日記

50代サラリーマンのつぶやき

「撤退戦」というより、「資源配分の見直し」といった方がいいように思ってます:読書録「2025年日本経済再生戦略」「撤退論」

・2025年日本経済再生戦略 国にも組織にも頼らない力が日本を救う

著者:成毛眞、冨山和彦

出版:SB新書(Kindle版)

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・撤退論 歴史のパラダイム転換にむけて

著者:内田樹、堀田新五郎、斎藤幸平、白井聡、中田考、岩田健太郎、青木真兵、後藤正文、想田和弘、渡邉格、渡邉麻里子、平田オリザ、仲野徹、三砂ちづる、ユウ・ヘイキョウ、平川克美

出版:晶文社(Kindle版)

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ここのところ、日本の人口減少を受けて、各種の報道やら発言やらが目立ってる感じもあって(イーロン・マスクまで登場w)、そこらへんの事も頭に置きながら、二冊続けて読みました。

まあ、「2025年日本経済再生戦略」の方は、成毛・冨山という、以前からファン的に著作を追いかけていた二人の対談ベースの本…ってのがあって、なんですけどね。

 


なんで、前者の方は「まあ、以前から二人がよく言ってることだよなぁ」って感じの本です。

ちょっと「お?」と思ったのは、

「企業を経由しての個人への補償」から「個人への直接給付的な補償」への転換

みたいなことをコメントしてるところでしょうか。

これは明らかに「コロナ禍」で顕になった日本の補償制度の立て付けに対する問題意識ですね。

彼らが主張する「国にも組織にも頼らない」あり方を推進するためには、この個人への直接的なセイフティネットは重要な意味を持ってきます。

僕個人としては現状の日本の経済力や国際状況を考えた時、成毛・冨山の指し示す方向へ進んでいくことは「やむを得ない」と考えているのですが、その場合も、この「セイフティネット」の部分をどうするかは大きな課題と考えています。

 


…というか、こっちの方向に進めていきたいなら、しっかり「直接的セイフティネット」の拡充を主張した方が、世論的な支持は得やすいんじゃないかと思うんですけどね。

政策はまずは世論の支持を得なきゃ意味がないですから(その結果として「選挙で勝つ」)。

徹底的なセイフティネットの拡充(具体的には生活保護の補足率を跳ね上げるとか)を「優先第一」の政策に掲げ、その次に成毛・冨山的な「経済成長戦略」、3番目に「憲法改正」を掲げる政治勢力が出てきたとしたら、リベラルはどうするんですかね?

ブレイクスルーはここら辺じゃないかなぁ…密かに僕は考えています。(節操がないから維新とかやらないかな。まあでも、彼らもすぐに「大言壮語」しちゃうからなぁ)

 

 

 

そういう意味で、僕自身は「撤退論」には懐疑的です。

「あまねくすべての層が成長の果実を享受できる」という時代で無くなってきていることは確かですが、だからって「みんなで清貧な生き方をしよう」じゃあ、ないだろう、と。

むしろその現実を見据え、分析した上で、「どういうところに国力を投入するのか」「諦めるべき/質を下げるべき部分はどこか」…といった「資源・国力投入の配分のあり方」を議論すべきではないかというのが僕の立場です。

 


そういう意味じゃ内田さんのこういうコメントには頷けます。

 


<今の日本政府部内には「国力低下の現状をモニターし、その原因を探り、効果的な対策を起案するためのセンター」が存在しません。個別的には、少子化をどうする、どうやって経済成長させる、どうやって軍事力を高めるかといった「前向きの」政策議論はなされていますが、全体的趨勢としての国力の衰微の現状と未来を「総合的・俯瞰的」に検討する部局が存在しません。  

僕が「撤退」と言っているのは、具体的には、この国力衰微の現実に適切に対応するということです。瘦せて腹回りがへこんだらベルトのボタン穴を一つずらすとか、寒気がするので厚着するとか、そういう種類の、ごく非情緒的で、計量的な問題です。にもかかわらず、そのことが制度的に忌避されている。>

 


<この本で僕たちはこれから「撤退」についてさまざまな論点を提出します。そして、僕からのささやかな願いは、その作業そのものを「静思」として営めたらいいということです。つまり、「僕たちの暮らすこの共同体は何のために存在するのか?」という根源的な問いに向き合いつつ、ということです。そういう根源的な問いをめぐる思索は、あまり論争的になったり、声を荒立てたりすることなしに、できれば「静思」という仕方で行う方がいいと思うのです。難しいとは思いますが。>

 


でもねえ。

その一方でこんなことも言っちゃう。

 


<それは為政者たち自身も「日本はこれからどんどん衰微してゆく」ということは客観的事実としては認めており、その原因も理解しており、それに対する対策もすでに講じているのだけれども、そのシナリオを国民に対して開示する気がないということです。「撤退」問題はすでに政府部内では徹底的に検討されており、対策も決定されているのだけれど、その事実そのものが隠蔽されている。僕はこちらの方が可能性は高いと思っています。>

 


こんなスタンスで、「静思」なんてできますかね?

まあ、内田さんができるのかもしれないけど、「陰謀論」が冷静な議論に繋がるとは、僕には思えないんですけどね。

「その指摘が生産的な議論に繋がるの?」

って考えざるを得ません。

 


…とか言いながら、この「撤退論」、なかなか面白く読むことができました。

バリバリ「上から目線」の白井さんの民主主義論とか、斎藤さんのコミュニズム論とか、内田さんのコメントも含め、あまり賛同できない内容のものでさえ、考える視座を与えてくれるという意味では有意義だったと思います。

中田さんのイスラムを念頭に置いた指摘とか、かなり刺激的ですらありましたし、それぞれの立場から、それぞれが真摯に考える「撤退」のあり方というのは、個人としては考えさせられるものが少なからずありました。

 


まあ、個人としては僕も50代後半ですからねw。

いろいろな意味で「撤退戦」を考えざるを得ないポジションに立ってるという事実もあります。

その「個人」としての立場を、「社会」全体に適用するのは違うだろ…ってのが僕が「撤退論」を振り回す人に苛立ちを感じる理由なのかもしれません。

 


「2050年日本経済再生戦略」

「撤退論」

 


まあ、読まなくてもいい本かもしれませんがw、読むなら「撤退論」の方かな。

成毛・冨山の意見は他の本の方がまとまってるしw。

 

 

 

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