鈴麻呂日記

50代サラリーマンのつぶやき

オバマの感想が聞きたい:読書録「実力も運のうち 能力主義は正義か?」

・実力も運のうち 能力主義は正義か?

著者:マイケル・サンデル 訳:鬼澤忍

出版:早川書房

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人は、持って生まれた才能を、自らの努力で十分に発揮し、その成果を自らのものとして評価されるべき。

ただそれぞれの人は環境によってその才能を発揮する条件が異なってしまう。

従ってこの不公平をなくして行き、「機会の平等」を実現することで、才能を発揮した結果が公平に評価されるようにすることが重要である。

 

パチパチパチパチ。

 

…え?

ちゃうの?

 

 

「それをお金で買いますか?」で、新自由主義に基づく市場経済主義を批判したサンデルが、本書では「能力主義」に対する批判について論じています。

ベースとなる問題意識は、ドナルド・トランプの登場であり、そこで露わになった「分断」の危機。

そしてそれを生み出した要因としてリベラル(民主党)の白人中道層離れを指摘しつつ、その根本にある「能力主義」による「選別の思想」を批判します。

 

「機会の平等」、特に「教育機会の平等」は大切じゃないですか。

その実現のために、アメリカでは長くいろいろな取り組みがされている。

…しかしその結果として至ったのが、現在の極端な「学歴偏重主義」。

これは「機会の均等」が、結局うまくワークしなかっために…

ではないのだ、と。

「機会の均等」がなされることにより、その成果としての「学歴」の評価が高くなり、その高くなった「学歴」を獲得するために熾烈な競争がなされるようになっている。

「学歴」が「能力」の証明となり、その「証明」を多くの人が求めるところに「学歴偏重主義」が生まれ、支えられるのです。

 

でもじゃあ、「いい大学」に入れなかった人は「劣った人」なの?

「いい大学」を卒業し、修士・博士資格を持った人が高く評価されるのが当然で、それを獲得できなかった人はダメな人間なの?

そして、その「ダメな人間」「劣った人間」がつく職業というのは、修士・博士資格を持った人たちがつく職業よりも劣った職業なの?

 

誰もが努力すれば成功できる=成功できないのは努力してないからだ

 

この「能力主義」がリベラルのエリート意識につながり、トランプを支持した中道層に対する「上から目線」(=蔑視)になり、そこに感じた「屈辱」の思いが、トランプへの支持につながっている。

…サンデルはそう整理しています。

そのトランプ自身が、かなり歪んだ「能力主義」の虜であるにしても。

 

本書は、こうした「教育」をめぐる論考の他に、能力主義の変遷や歪みなどの経緯も具体的に追いかけていて、実に読みがいのある作品となっています。

まああまりにも広範囲すぎで、理解が追いつかないってのは、毎度の話ですがw。

「リベラルが弱者の実態を把握しきれなくなり、中道層・下層の意見を吸い上げきれなくなってしまったことが、ポピュリズムの隆盛と<分断>を産んだ」

という論調は、最近のリベラル層への批判・自省でも指摘されるようになっています。

ただその根本に「能力主義」がある…ってのはサンデルの慧眼じゃないですかね。

「誰もが努力すれば成功できる。そうなるように、<機会の平等>に取り組む」

…そうじゃないんだ、って話ですからね。

(イギリスで新自由主義を推進したブレア政権ですが、ブレディみかこさんも「教育には力を入れていた」と評価していました。しかしサンデルの本書を読むと、そう単純な話じゃないな、と考えさせられます)

 

このリベラルの能力主義の体現者が「バラク・オバマ」。

彼はまさに「才能を努力で開花させた」人ですからね。

しかし「だからこそ」彼は激しい反発も買い、<分断>を深めることにもなった。

僕はなぜそこまでオバマに反発する層がいるのか、今ひとつピンと来なかったのですが(人種差別…というファクター以外は)、サンデルの示唆によって、なんとなく分かってきたように思います。

だからこそ本書についてはオバマの感想が知りたいですね。

彼のような人物の「気付き」こそが、リベラルにとっては重要だと思うので。

 

 

ではどうすべきか?

ポイントは「中道層の復活」です。

本書でサンデルは以下のような対処策を提唱しています。(本田由紀さんの「解説」より)

 

<大学入試については、社会階層的アファーマティブ・アクション(積極的差別是正措置)と適合者のくじ引きによる合否決定、技術・職業訓練プログラムの拡充、そして名門の大学における道徳・市民教育の拡充である(…)。また労働や福祉については、賃金補助と消費・富・金融取引への課税を重くすることによる再配分である(…)。それらを通じて目指すべき社会のあり方は、次のように描かれる。「巨万の富や栄誉ある地位には無縁な人でも、まともで尊厳ある暮らしができるようにするのだー社会的に評価される仕事の能力を身につけて発揮し、広く行き渡った学びの文化を共有し、仲間の市民と公共の問題について熟議することによって」>

 

中道層の復活、その尊厳ある暮らしの再建…という観点は、少し前に読んだ冨山和彦さんの「新L型経済」でも指摘されてたこと。

先のバイデンの演説にもこういう方向性はありました。

<分断>の危機に対する問題意識は日米に通じるところがあるってことでしょう。

 

ただこの実現のためには「尊厳」を規定するための「道徳的」観点(共通善)が求められます。

これってなかなか難しい。これが難しいから、リベラルでさえ「能力主義」に傾いてしまった面もあると思います。

 

「熟議」が必要とされるその途を選ぶことができるのか。

 

しかしコロナ禍が露わにしたエッセンシャルワーカーの重要性と経済的な逼迫なんかは、この歪みと必要性をも露わにしたような気がします。

アフター・コロナに求められるのは、こうした社会の変革への道なのかもしれないと考えるとともに、そうありたいとも思います。

 

まあ、その前に「現状」を克服しなきゃいけませんが。

 

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