鈴麻呂日記

50代サラリーマンのつぶやき

なるほどねぇ:読書録「IoTとは何か」

・IoTとは何か 技術革新から社会革新へ
著者:坂村健
出版:角川新書

IoTとは何か 技術革新から社会革新へ (角川新書)

IoTとは何か 技術革新から社会革新へ (角川新書)


この手の本を読むのは「仕事がらみ」というよりは、「これからどういう社会になっていくのかなぁ」って興味があってのことです。
従って僕自身は積極的に「変わっていく」のを楽しみたい方。
家に帰ったら、自動的に明かりがついたり、エアコンで快適な温度になってたり、言葉で命令したらステレオから好きな音楽が流れてきたり、自動車が自動運転で目的地まで運んでくれたり、冷蔵庫のものが足りなくなったら自動的に案内があって、そのまま買い物できたり、あれやらこれやら…
そういう社会ってワクワクしませんかね?
ま、人それぞれかもしれませんがw、僕はそういうの楽しみなんですよ。


本書を読むと、そういう社会の鳥羽口にまですでに来ていることがわかります。
技術的にはほぼ問題ないんじゃないですかね。通信の大量/高速化がもう一歩必要かもしれませんが、その目処もついているようですし。
だからこそ副題が、
「技術革新から社会革新へ」
なんですね。
「技術」の目処はついた。だがそれを許容するためには「社会」の変革が必要だ。
要はそういうことです。
特に日本社会の場合、「オープン化」に対するハードルが高く、課題が大きいことが指摘されています。


本書の中で「フューチャーフォン」の敗退について書かれていますが、この捉え方が典型的です。
僕自身は「先鋭的になりすぎたゆえのガラパゴス化」と認識してたんですが、(もちろんそういう面はあるんですが)作者は「キャリアからのオープン」にポイントがあったと指摘しています。
確かにそれまでの携帯はメーカーではなく、キャリア主導。キャリアの補助・サポートもあってではありますが、キャリアが決めた方向性にメーカーが従っていた面があります。i-modeはその上に成り立ってたし、キャリア支配の一典型でもあります。
その後のスマートフォンの販売でも日本の場合はキャリア問題が大きかったので、この点は意識されづらかった面もあるんでしょうが、「スマートフォン」はこの支配権を「キャリア」から「メーカー」に移す流れだったというのが作者の指摘。その流れに下手を打ったことが、日本の携帯メーカーの衰退にも繋がったのだと。
今から考えれば、「そうだな」と思いますね。じゃなきゃ、iPhoneがここまでシェアを持つこともなかったでしょう。


「オープン化」を考えるとき、ハードルとなるのは「プライバシー」と「セキュリティ」だと僕は考えていましたが、作者はそれを「ガバナンス」であると喝破します。
オープンの範囲や、関係者の権限や責任、運用に当たってのルール等を定めるのが「ガバナンス」であり、考えてみれば「プライバシー」も「セキュリティ」もこの中で論じられ、決められるべきものです。それを「課題だ」と言ってるだけじゃ、前に進みません。
そしてこの「ガバナンス」が苦手なのが、「日本社会」。しかしそれでは「フューチャーフォン」の二の前になってしまう…というのが作者の危機感でもあるのでしょう。


作者が「アグリゲート・コンピューティングモデル」として描く、デバイスや機器等がクラウドと直結する中で、APIをオープンにすることでスマホでコントロールを一元化するという構図は極めて「現実的」だと思います。
まあ、自動自動車はもう少し先かもしれませんがw、当分は先だと思われていた囲碁棋士へのAIの勝利が現実化していることなんかを考えると、思っている以上に「技術革新」は進んでいるように思います。
それを活かす「社会革新」が可能かどうか。
確かに2020年オリンピックは、その「きっかけ」となりうるイベントかもしれません。
そう思うと、オリンピックも楽しみになるかなw。