鈴麻呂日記

50代サラリーマンのつぶやき

自己評価が驚くほど低い:映画評「マーロン・ブランドの肉声」

あまり自分を語らない役者という印象があったんですが、実は相当量の「肉声」をテープで残していたらしく、それを出演作や残っている映像と編集して・・・というのが本作。
正直言って前期の「欲望という名の電車」や「波止場」あたりはチャンと見てなくて、個人的には後半の「ゴッドファーザー」「ラストタンゴ・イン・パリ」「地獄の黙示録」あたりの、「ちょっと曰くがある名優」という印象が強い役者さんなんですがね。
あと、「スーパーマンのお父さん」w。



「マーロン・ブランドの肉声」


でも残された発言を聞いてると、これほどの名優でありながら、「自己評価」が低いのに驚かされます。
まあ僕が知ってるのは「ゴッドファーザー」後だから、かなり評価が定まった時代というのはあるかもしれませんが、それでも「欲望という名の電車」や「波止場」での存在感や演技は、今から見ても「圧倒的」。
その人物がこんな風に不安定な心情を抱えていたなんて…って思わされます。
明らかに「向いてない」ノーテンキなコメディ作品への出演なんかも含めて、ですね。
まあこういう人物だからこそ、いろいろなキャラクターに没入することができた…ってのもあるのかもしれませんがねぇ。
(なんてたって、カーツ大佐は、ドン・コルレオーネより「あと」の演技なんですからw)


晩年の家族の悲劇については、もうかける言葉もありません。
その徹底的な崩壊がありながら、役者としては歴史に燦然と光り輝くという…。
そのことそのものが「マーロン・ブランド」を象徴しているのかもしれません。
本人からしてみれば、
「勘弁してくれよ」
だろうけど。


なんとなく見入っちゃう映画でしたね、これは。