鈴麻呂日記

50代サラリーマンのつぶやき

読書録「遺伝子の不都合な真実」

・遺伝子の不都合な真実 すべての能力は遺伝である
著者:安藤寿康
出版:ちくま新書



<本書はその理由の一つかもしれない真実、「人間の能力や性格などひとりひとりの心の働きや行動の特徴が遺伝子の影響を受けている」という不都合な真実に、あえて向き合っていこうと思います。>



中学か高校の頃、「福祉」と「公平」について考える上で出された「問題」を思い出しました。



「個々人の身長に合わせてベッドを提供するのと、(身長を考慮せず)同じサイズのベッドを提供するのと、どちらが『公平』か」



もちろん「正解」なんかなくて、社会の状況や文化のあり方で答えは違ってくるんですが、変動のある「身長」に併せて提供するスキームを構築するより、同一サイズのベッドを提供する方がコスト的にも客観性の証明という点からも「判りやすい」かな・・・とは思った覚えがあります。
でもこれもある程度の範疇に身長の幅が収まっていればこそ。
身長が倍も違うような世界ではこの判断は違ってくるでしょう。



遺伝子を巡る問題は、遺伝子の影響を計測する手法が十分じゃなかったり、歴史的/社会的/文化的制約から科学的に分析・計測できない時代が長かった・・・ってことが大前提にあります。
ただ時代が進み、分析や統計の技術が進んできたことで、この計測がかなり正確にできるようになってきた、つまり「身長」が正確に測れるようになってきた。その中で果たして「同一サイズのベッド」を提供し続けることが、「公平」と言えるのだろうか。
ザクーっと言っちゃうと、作者が言ってるのはこういうことなんじゃないかな、と。(違うかもしれんけどw)



まあこれも「正解」はないでしょう。「優生学」の呪縛は未だに強いように思いますし。
ただ計測が出来るようになり、科学的統計/分析ができるようになている「事実」・・・ここに目をつぶることは逆に問題を孕ませるのではないか。
この主張には一定の合理性があるんじゃないですかね。
「不都合な真実」
ここには「正解は判らないけど、実情を考えると認識せざるを得ないこと」という意味合いもあるのではないかと思います。



正直、僕自身、一種の「危険性」をこうした考え方に感じる部分があります。(作者はその点を理解し、丁寧に説明をしてくれていますが)
それでもこういう流れがあること・・・これは無視できないでしょうね、やはり。