「週刊現代」に連載されたエッセイをまとめたものなんで、こういう題名はどうかとも思うんだけどね。
前作のときも書いたけど、
「あんたにゃ言われたくない」
って気もするしw。
僕が十代の後半や二十代に読んだこの手の作品の作者は「池波正太郎」や「山口瞳」。
あの頃はずいぶんと傾倒した部分があったと思うけど(今も自分の思考パターンの端々に影響を感じることがある)、今この作品なんかを読むと、
「そうは言ってもなぁ」
って感じるところもある。
封建的/男尊女卑的思考パターンが垣間見えるとこなんかは、結構共通してるんだけどね。(それでいて通底するのは「優しさ」だったりするけど)
これは僕が経験を積んだからか、現実を前に妥協するようになったからなw。
まあ、どっちもあるでしょうなぁ。
若い頃にこの手の本を読んで、それで自分が立派になったかっていうと、そんなことは全然ないのでw、「そういうもん」と思って読むのがいいんだろうなとは思う。
それでいて何かの端々が記憶に残り、身に付けば、それはそれで「良し」だろう。
本書に収められた作品には「震災」後に書かれたものも多い。
そこには非常事態における作者の「立ち位置」みたいなものが垣間見え、読みどころとしてはコレが一番じゃないかな。
決して全てに同意が出来る訳じゃない。
でもソコに一本の筋が通っていることは認めてもいいと思う。
コレはコレで、実に希有なことだ。
<世の中というものは不幸の底にある者と幸福の絶頂にある者が隣り合わせて路上に立つことが日常に起こるものだ。
だから大人はハシャグナというのだ。>(P.154)
大人になりきれない僕にとっては実に耳が痛い。
僕だって、子供を寿司や(除く「回転寿司」w)には連れて行かないけどね。
批判的にであれ、同意するのであれ、学ぶのであれ、「伊集院静」という作家があぶり出されたような作品にはなってるかもしれないなぁ。
決して「立派な大人」じゃないと思うけどね、彼もw。