鈴麻呂日記

50代サラリーマンのつぶやき

読書録「キュレーション」

・キュレーション 収集し、選別し、編集し、共有する技術
著者:スティーブン・ローゼンバウム 訳:野田牧人 監訳・解説:田中洋
出版:プレジデント社



昨年の今頃、佐々木俊尚氏の「キュレーションの時代」を読んだんだけど、本書の原書の出版も同じ頃だった模様。
ただ「実例」の多さでは本書の方が「圧倒的」とも言える。
それがアメリカと日本の「距離感」であり、残念ながら一年経ってもその「距離感」は埋まってない印象があるね。
色んな要素はあるんだろうけど、基本にあるのは「ニュービジネス」へのハードルの高さかも。
「キュレーション」の意義や方向性を論じるとともに、その「ビジネス化」についても(実例も含め)本書での言及が多いことがその証拠にもなっている。



正直、胡散臭さも感じるんだけどw、霞を喰って生きては行けないからね。
「ビジネス化」は「継続性」の裏付けとなるというのも「リアル」。
「起業」でソコを支えることで、「既得権益」とは違う層が伸長することを「リアル」にしているのがアメリカの強みであり、面白さだろう。
「キュレーション」のように、「メデイア」という強大な既得権益層にとってマイナスな方向性を打ち出すような動きにとっては、この点は実に大きいんだよなぁ。



もっとも「キュレーション」という動きが、ネット文化において「次のトレンド」と言えるのかどうかについては、個人的には若干の躊躇もある。



そもそも「PC」には(ジョブズが強く認識してたように)「個人をエンパワーする」という思想があり、それは現在に至るまで継続していると思っている。
そこでは「人間(個人)の尊重」が謳われているとともに、「人間組織」「権威」というものに対する懐疑も同時にある。
Googleがアルゴリズムによる検索を打ち出し、推進するのも、この思想に裏打ちされるところがあるというのが僕のスタンスだ。



ネット環境やIT技術、機器の進化により、ネット上のコンテンツが爆発的に増加しているのは事実。
そのため「検索」だけではカバーできないエリアが手に負えないほどに増えているのも間違いないだろう。
求めるものが「検索」という範疇に収まらなくなるほどネットの活用エリアが広くなってるってのもある。
「キュレーター」「キュレーション」の重要性が高まっている状況に関しては僕も全く同感だ。
ツイッターやFacebookを僕が使ってるのも、正にそういう背景を踏まえてのことでもあるしね。



ただ「キュレーション」が「人」に頼らざるを得ない以上、「ビジネス」として拡大して行くには、どこかで「組織化」される可能性は否定できない。(本書の「実例」にもそれが見える)



「組織化されたキュレーションに『権威』化の危険性はないのか?」



PC/ネットの歴史を考えると、この点は問われなければならないと思う。
「原理主義者」たるGoogleがソーシャルメディアに踏み込むのも、(贔屓目かもしれないけど)ここを考えた上ではないか、と。
「キュレーションの自動化」
要はそういうことね。



正直、ここに「答え」はないと思う。
全てが自動化された「キュレーション」なんて実現的とは思えないし、何だか気持ち悪くもあるw。
「キュレーション」が「個人」をエンパワーしていることも僕は認めたい。
ただその「権威化」を回避するためには、常に何らかの手だてが必要であり、アルゴリズムによる自動化は牽制の一つになり得る・・・僕は漠然とそんな風に考えている。
そこには「補完関係」があるべきだ、と。
(最近問題となった「ステマ」の件なんかも、ここら辺に絡む話ではあるなぁ。
「食べログ」を使っている者からすると、実際には「ステマ」の効果については「?」の部分も少なくないんだけど、だからって放置していいものでもない。
そのチェックのためには何らかの自動チェック機能が必要だろう)



とか言いながら、「Google+」にはまだ手を出してないんだけどねぇw。



アメリカの「実例」紹介パートがかなり多いので、本書の日本における意義については「?」の部分はある。
読んでてタルい部分は確かにあったよw。
ただ「キュレーション」ということを考え、そのビジネス化なんかに興味があるんなら、結構、面白い本じゃないかと思います。