・大震災の後で人生について語るということ
著者:橘玲
出版:講談社
「身も蓋もない」
・・・といういつもの橘節w。
ただ「大震災」という大きなインパクトを経て、その「身も蓋もなさ」に真実味が加味されたという印象もある。
40代半ばを超えてこういうことを言われても困るんだけどねぇ。
でも「社会変革」ではなく、「自己変革」によって震災後の世界を生きる上においては、こういうスタンスって無視できないんじゃないかとも思うよ。
賛同するにせよ、反発するにせよ、「考え方」として一度読んでおく価値はあるんじゃないかな?
本作以前から作者の主張は一貫していて、本作でもそれが大きく変わるわけではない。
人々が意識せずに「前提」としていること(作者はそれを「神話」と呼んでいる)が内包している「リスク」を明らかにし、それが個人の「人的資本」「金融資本」にどのような意味を持っているのか、危機が訪れたとき、それがどのように表面化するのか。
まずはそのことが語られる。
挙げられる「神話」は4つだ。
「不動産神話」
「会社神話」
「円神話」
「国神話」
最近ではこれらを「盲信」する人は少なくなったようにも思うけど、だからといって個々で指摘される「リスク」を多くの人が回避するようになったかと言えば、そうでもない。
相変わらず人々はマイホームを求め、大会社の正社員や公務員になることに奔走し、しがみつき、ラッシュの通勤列車に乗るために唯々諾々と列に並んでいる。
確かに震災はその一部を揺るがしたと思うけど、まだ決定的な亀裂が生じているわけじゃない。(少なくとも表面上は)
ただ「何か」が浮かび上がろうとしている不気味さが日本社会を覆いつつあるのも確かだろう。
「神話」が内包する「リスク」を明らかにし、そのリスクから自分の「人的資本」「金融資本」を切り離すこと。
作者が示すのはそういう生き方だ。
そのためにどのような職業観を持ち、資産を運用し、人生を構築していくのか。
リストアップされている具体的な対応策は「役に立つ」っちゃあ、「役に立つ」。
「それができるくらいなら・・・」
ってのもあるけどねぇ。
そこらへんが「身も蓋もなさ」に繋がったりもするんだよな。
震災以前と同じことを語られながら、以前より本書の内容が切迫感を持って伝わってくるのは、今回の震災が「リスクに弱いものを直撃した」という事実を作者と僕が共有しているからだろう。
「危機」というのはそういう性質を持っている。
だとすれば、我々にとって必要なのは「リスク耐性」を上げて行くこと。
そのためには・・・というのが本書の根幹にはあるわけだ。
それがハードルが高いことだとしても。
果たしてこれからの社会がこうした「リスクに弱いもの」に対するセイフティネットをどのように構築していくべきか。
勿論、これはこれで考えなければならない。
「政治」が求められるのはそういう局面だ。
その一方で「国神話」を信じない者は「個人」として「リスク耐性」を上げて行かなければならない。
「自分」を救うために、どのような道を歩んでいくべきなのか。
本書が語るのはそういう「道」である。
今の政府の対応を見てると、この「道」の必要性が強く感じられない?
僕は読みながら、ヒシヒシと感じたよ。
・・・ホント、40半ばにあって、こんなこと言われても困るんだけどねぇ・・・。