余震(アフターショック) そして中間層がいなくなる
著者:ロバート・B・ライシュ 訳:雨宮寛、今井章子
出版:東洋経済新報社
ライシュの前作「暴走する資本主義」はかなり刺激的な本だった。
我々が投資家・資本家であるとともに、消費者であり、市民でもある現実。
その構図の中から「資本主義」が必然的に「民主主義」を押しつぶしてしまう。
現実に政策を作る立場にもあった人物による刺激的な分析であり、提言だったと思う。
本書はその資本主義が暴走した結果、経済格差が極端に開いた現状から、今後どのような未来が想定されるのか。
それを避けるためには何をすべきか、について論じた作品。
前作同様、「読ませる」一冊でした。
作者の分析をかーんたんに整理すると、こんな感じ?
「経済格差が広がる中、中間層の購買力が落ちて行き、経済成長に寄与出来なくなる」
「富裕層の政治との癒着は中間層の不満を高め、その苛立ちが過激な政治思想集団の台頭につながる可能性が高くなる」
後半で作者は「未来予想図」を描き、過激政党が政権奪取した姿を提示してるんだけど、コレが「決してあり得ない」と言えない状況が今のアメリカにはあるんじゃないかね?
そしてそのコトは震災後に急速に政治不全の状況を晒している日本にも言えるコトなんじゃないか、と。
田原総一朗あたりも、最近そんな発言してるしなぁ
日本はアメリカ比べて経済格差が激しくないけど、平等感が強かった(一億総中流)だけに、格差を強く感じるはずだし、加えて政治不信が状況変化に対する無力感を加速している。
危機的状況が訪れないとは言い切れない部分があると思うよ。
それに対して作者が提示している「対応策」はアメリカの現実に対応した内容になってるだけに、日本の現実に適応できるか、については疑問もある。
でもこう言うのって、「問題点」のあぶり出しが一番重要だからね。
本書はその役割は十分に果たしてると思う。
本書を読みながら、一方でこんなコトも考えた。
「国内において一部の層に読みが集中するコトの危険性はたしかにそうかもしれない。
でも見方を世界に広げると、それは一部の先進国に富が集中する構図にも重なるんじゃないか?
この点を放置すると、同じように、何らかの『世界的危機』が訪れるのではないか?」
だからって国内の経済格差の拡大を放置してイイって訳じゃないけどね。
でも作者の視点が国内に偏ったものになりすぎているのでは・・・ってのは指摘すべきことなんじゃないかと。
そもそもそういう傾向はアメリカにはあるからなぁ。
ここら辺、どうなんでしょう?