・この国の「問題点」 続・上杉隆の40字で答えなさい
著者:上杉隆
出版:大和書房
「黒・池上彰」と言われていた前作に続いての第2弾。
前作以降(昨年秋くらいかな?)、民主党のグタグタぶりに拍車がかかり、遅々としながらも情報公開が前進する中で、東日本大震災。
これで一気に作者の立ち居地も変わっちゃった感じもありますかね。
作者は本年一杯での「ジャーナリスト活動休止」を宣言してるけど、ここに東日本震災直後の政府・メディアの情報隠蔽の態勢、自身も含むフリー・ジャーナリストに対する感情的(あるいは陰謀的)非難への抗議の意味があるのは確かだろう。
それに「嫌んなっちゃった」ってとこもあるかなw。
一方で本書を読んで思ったのは、
「結構、これって広く認知される考え方になってんじゃないかなぁ」
ってのもあった。
「黒・池上彰」本と言われた(勝手に作者が自分で言ってたんだけど)前作の頃には「マイノリティ」的なポジションなのも確かだったと思うんだけど、今はもう少し賛同者を増やしてるんじゃないかなぁ、と。
東日本大震災の際の政府・メディア・東電の情報隠蔽に対してはかなり認知されるようになっていて、その「不信感」が今の政府に対する不信の大きな一つの要素にもなっている。
「情報公開」や情報源の多様性がこれほど注目されていることはなかったんじゃない?
単に僕が「上杉教」に侵されてるだけかもしれんけどw。
勿論、上杉氏が言ってることが「何でも正しい」って訳じゃない。
全ての情報を自らの責任において判断する・・・これが重要なんだよな。
そのことは作者自身の主張でもある。
そう言う対応が一定の社会コストを高めてしまうことは間違いない。
そのことに対して抵抗感を示している人も少なくないだろう。
(そういう情報に対する斑な立ち位置から生じる「情報格差」をどうするか。これはこれで大きな課題)
ただ東日本大震災が露わにしたのは、
「自らの責任において情報を判断しなければ、自分自身を危険に曝してしまう可能性がある。『正確性』を犠牲にしてでも『スピード』を優先しなければならないときが、情報にはある」
ということ。
その意識はスゴク強くなったと感じている。
とは言え、ゆり戻しはあるし、今の福島原発の情報に対する「鈍感さ」にはそうした傾向を感じなくもない。
「再生エネルギー」をネタにした政局のガタガタにも、「日常」の巻き返しが覗えるんじゃないかな?(僕自身は震災直後の対応において菅首相は早期に辞任すべきとの意見)
ただ一度開いた「パンドラの箱」が閉じることはない。
「情報」に対する流れが作者が示す方向に進んでいくことは間違いないんじゃないか、と(そのスピード感に不満はあるかもしれないけど)。
その向うにある社会が果たして今よりも「幸せ」なものなのかどうか?
これは何とも言えないんだけどね。