「上手い」
何よりそう思う。
冒頭、「0章」の、赤ん坊を誘拐するに至る心情描写からグッと引き込まれ、その逃亡の顛末を描く「1章」は、本当に読まされた。
ヒロインの心情描写を中心としたこの前半では、ヒロインがそういう状況に陥った背景説明は最小限にとどめられ、ただただ誘拐した赤ん坊に寄り添い、伴に過ごしたいと言うヒロインの願いのみが物語を推進させる。
それは犯罪行為であり、許されることではない。
その行き着く先が「破綻」であることを読者は知っており、ヒロインもまた「知っている」。
それでもなお・・・と進んできた物語は、瀬戸内の美しい島で唐突に断ち切られる。
予想通りの「破綻」によって。
我々はその「予想」を確認し、そこで小さな「謎」(最後にヒロインが叫んだ言葉)を手に入れる。
後半のヒロインは、この誘拐された赤ん坊が成人した女性となる。
彼女は決して幸福な生活を送ることなく成人し、自分を誘拐した女性を憎み、本当の家族を疎み、それでいて誘拐した女性と同じ選択をしてしまう。
そんな彼女が過去の逃避行を追跡する中で、読者は前半のヒロインと彼女を取り巻く環境、人間関係を知ることとなり、「事件」の背景を把握する。
決して許されることではない。
でも全く理由がなかったのではない、と。
だが、後半のこの「解き明かし」は付随的なものだろう。
もっとも重要なのは、成長した少女が、自分を、誘拐した女性を、自分の家族を、世界を肯定することができるか・・・そこにある。
そしてフェリー乗り場で彼女が思い出す、かつてと同じ場所で誘拐した女が叫んだ言葉。
・・・いやはや、「上手い」としか言いようがないよ、ホント。
「善悪」を問わぬところにある「何か」
一週間で死ぬ運命を超えた「八日目の蝉」だからこそ見ることのできる「何か」
作者はヒロインたちだけでなく、読む者もまた、「八日目の蝉」にまで連れてきてくれるのだ。
本書が単行本で出版されたとき、結構評判になったのは知っている。
「どうしようかなぁ」
とも思ったんだけど、結局文庫本になったのを知っても食指が伸びなかったのは、「不幸の連鎖」を見たくなかったから。
だって、
「誘拐された少女が、かつて自分を誘拐した女性と同じ選択を・・・」
なんて事前情報だったからね。
それを読んでみる気になったのは、映画化された作品を観た妻や友人たちが「良かった」と薦めてくれたのがキッカケ。
映画を観た後、本書を読んだ妻は「どっちも良かったけど、個人的には原作の方がいいなぁ」と言ってたしね。
結果、読んで大正解でした。
これはかなりの作品ですわ。
あー、ただし本書において「男」は全くの役立たずです。
むしろ「悪者」。
しかしまあ、こんなもんだよなぁ、男ってさ。
何か、そういうとこも「納得」でしたw。