鈴麻呂日記

50代サラリーマンのつぶやき

読書録「なぜ韓国は、パチンコを全廃できたのか」

・なぜ韓国は、パチンコを全廃できたのか
著者:若宮健
出版:詳伝社新書


僕自身はパチンコはしない。
学生時代は少ししてたし、独身の頃は時間つぶしに手を出すことはあったけど、今は全く。
個人的に、あのペースが合わないんだと思うね。
正面から取り組もうと思うと結構時間も食っちゃうし。
従って戦績は殆ど「負け」ばっかりw。


その僕が本書を読んだのは「韓国ではパチンコを全廃した」という事実に驚かされたから。
パチンコの悪影響については多くの人が認識していると思うんだけど(それを許容範囲、必要悪と思うかどうかは人次第)、それにしても撤廃できるものとは思いもよらなかった。
そのことを韓国が成し遂げたという事実が本書を手に取らせた訳だ。


作品としてはチョット感情に流れ過ぎかもしれないね。
パチンコ被害について論じる口調、政治家・警察・マスコミとの癒着について論じるときの論調は、確かに憤りを感じるのは同感なんだけど、もう少し冷静な方が良かったんじゃないかとも思う。
そこで語られることが、悲惨であり、呆れるばかりであり、情けないことであるのは間違いないんだけどね。
でもこういうことは冷静な口ぶりの方がより信頼感を増し、インパクトを持って読むものに迫ってくるんじゃないか、と。


まあ本書の場合、何よりもインパクトがあるのは「韓国ではパチンコを全廃できた」という事実。
その事実の衝撃に、多少の作品の弱さは覆い隠されている。
そしてパチンコを巡る日韓の差を論じる中から浮かび上がってくる日本の問題点には、やはり考えさせられるものがある。
韓国がどうのこうのではなく、その「問題点」は日本が自ら抱え込んでいるものだからねぇ。


今、大相撲が八百長問題で揺れている。
それはある意味「周知のこと」であったことが白日の下にさらされたことによる混乱とも言える。
こうした「周知のこと」の一つが、例えばパチンコの換金。
それが何故日本の社会の中で放置され、「周知」でありながら、「ないこと」とされているのか。
これは考えなきゃ行けないことかもしれないね。


例えば一部の政治家が進めている換金の合法化って言うのは、こういう「周知でありながらないことになっているもの」を明確化する動きと評価することもできるかもしれない。
だがそのとき、パチンコの被害、パチンコが地域にもたらす社会的・経済的影響をどのように評価すべきなのか?
問われるのはそのことだ。


「韓国ではパチンコを全廃した」
この事実。
そしてそれを報道も出来ず、なし得ない日本の病理は何なのか?
考えさせられる作品であることは確かです。