インタビュー、受賞の挨拶、エッセイ、短編小説 等々・・・
村上春樹の本にまとめられていない「雑文」をあつめた作品。
ついこの間、インタビュー集が出たばかりだけど、「ノーベル賞受賞」に向けての「在庫一層セール」か何かが始まってるのかしらんw。
まあ個人的には村上春樹の文章のリズムが好きなので、こういう風に色んな趣の彼の文章が読めるのは嬉しいんですけどね。
(小説も勿論大好きなんだけど、最近の村上春樹作品は気楽には読めない雰囲気があるからなぁ。長いしw)
まあどの文章も興味深く読めたけど、特に読み応えがあったのは、やっぱり話題にもなったエルサレム賞受賞の挨拶の「卵と壁」。
そのシチュエーションも含め、この文章に込められた「覚悟」には襟を正される想いがある。
村上春樹が「システム」と一定の距離を置いてきたって言うのは、彼の作品を読んできたものにとっては周知のことなんだけど、それがこんな風に「覚悟」にまで昇華されてるものだとはね。
個人的に「ノーベル文学賞」にどんな意味があるのかはワカンナイし、「村上春樹」という存在とは違和感もあるようにも感じてるんだけど(その違和感は、「卵と壁」で表明された「覚悟」にも通じるところがある)、このスピーチに関する報道に接したとき、「なるほど、そういう風なポジションに立ってもおかしくない作家なんだな」と思ったんだよね。
改めてスピーチ内容を通して読み、やはりその「覚悟」には考えさせられた。
だからって「ノーベル文学賞」はどうかとも、相変わらず思いますが。
もう一本、「お」と思ったのが、「ビリー・ホリデイの話」。
これは、
「ジャズと言うのはどんな音楽か?」
という問いに対する答えとして書かれたものなんだけど、実に「村上春樹らしい」と思った。
正確に言うと、僕がのめり込んでいた頃の(「ダンス・ダンス・ダンス」くらいまでかなぁ)「村上春樹」らしい。
いや、読んでみると、「おセンチで甘い」って感じもするんだけどねw。
でもそれが実にあの頃の僕にはフィットしたんだよなぁ。
そういうところに何時までも留まれないのは、僕にとっても、村上春樹氏にとっても、必然的ではあったんだろうけど・・・。
(実際、「こういうのがジャズか?」って言われたら、「どうかな?」って部分も本当はあるよね。
ブランフォード・マルサリスの発言に対するコメント「日本人にジャズは理解できているのだろうか」なんかと併せて読むと、ここらへんは考え込まざるを得ない。
・・・でありながらも、僕の「ジャズ」に対する捉え方には、この「ビリー・ホリデイの話」に通じるところが確かにある。
だからこそ、僕のジャズに対する興味は60年代から先に進まないのかもしれないけどね。
この点、村上春樹がどうかは知りませんが)
先のインタビュー集同様、こういう本は「村上春樹」という作家に興味がある人じゃないと、読んでも全く面白くない。
でも興味ある人には、少なくとも一読の価値はあるんじゃない?
勿論、村上春樹の真髄が「長編小説」にあるのは、自明のことではありますが。