鈴麻呂日記

50代サラリーマンのつぶやき

「大森署」は安泰ですなぁw。:読書録「署長シンドローム」

・署長シンドローム

著者:今野敏

出版:新潮社

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隠蔽捜査シリーズの最新作「審議官」の一編で登場した、竜崎の後任の大森署長・藍本小百合が主人公の新作。

「審議官」を読んだ時、

「これはいいキャラだなぁ」

と思い、もっと読みたい気分になったんですが、さすが今野さん。分かってらっしゃるw。

主人公に格上げしての新作です。

 


時系列的には藍本署長の着任から少し経って。

竜崎時代のメンバーもまだ残っていて(戸高とか貝沼とか)、竜崎に振り回された面々が、経路の違う新しい署長に振り回される姿が描かれます。

取り上げられる事件は、東南アジア・マフィアの武器密輸事件。

そこから小型核爆弾でのテロが…みたいな話になるんですが、冒険小説的ドラマティック展開にはならず、地域署による地道な捜査で事件は解決することになります。

 


超絶美人で天然モードの藍本署長。

 


<藍本署長がほほえんだとたんに、全ての事実は曖昧になってしまう。そして、人々は幸福感に包まれるのだ。>

 


竜崎が「論理」と「正論」で事件を解決し、巨大な組織の不条理さを切り開いていくのに対して、藍本は「ほほえみ」で味方を増やし、事態を好転させていく。

方法論は全く違うのだけど、自分なりの「正義」が根底にはあり、その実現のために行動するという点では2人は共通する…のかも。

一人称視点もある「竜崎」に対して、「藍本」は(今のところ)内面描写はないんですよね。

だからホントのところがどうなのかは「?」。

根っからの天然でしかないのかもw。

 


竜崎が去った後の「大森署」がどうなるか?

署員たちも危惧していましたが、どうやら安泰のよう。

まあ、大物上司たちの美人署長詣では、ちょいと鬱陶しいでしょうがねw。

 


(竜崎・藍本のコラボはあるかな?

見てみたいような、見ても仕方ないような…。

ま、今野さんにお任せします。

シリーズ化はして欲しいなぁ)

 

 

 

#読書感想文

#署長シンドローム

#今野敏

 

この作品をaudibleで通勤途上に聴いてるってのが間違いかもw:読書録「スマホ時代の哲学」

・スマホ時代の哲学 失われた孤独をめぐる冒険

著者:谷川嘉浩 ナレーター:楯野煌人

出版:ディスカヴァー・トゥエンティワン(audible版)

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ポップな表紙が目について、ついついDLして聴いてしまいました。

京大出身で、プロとして「哲学者」をされている方が、現代社会で「哲学」することについて語った作品…と言っていいのかしらん。

1990年生まれですからね。

随分とお若い。(僕から見れば)

 


「スマホ時代の哲学」という題名の通り、誰もがスマホを通じてインターネットやSNSに「常時接続」している時代に、「哲学」が大切に考える「孤独」というものをどうやって確保したらいいのか…ということが主題になっています。

好感が持てるのは、

「だからスマホを手放そう!」

「デジタル・デトックスだ!」

って話にはならず、

「手放すのは無理。だけどなんとか折り合いをつけながら、<孤独>な時間を設けれないかな」

くらいのスタンスになってるところ。

「無理」だし、そういう強制的な「スタンス」には、それはそれでどっか歪なところあるような気が、僕はするんですよね(偏見?)。

 


もっともそういうスタンスなので、作者の話はスッキリはしません。

そのモヤモヤが重要…ってのが主張であったりもするのですが、スッキリしないのは事実w。

でもその「行ったり来たり」が本書の読みどころかも。

それが哲学的な変に小難しい単語や文章で書かれず、とにかく分かりやすい平易な言葉で語ろうとしてるところがいいです。

哲学者だけじゃなくて、色々なポップカルチャーを事例に出してるあたりも個人的な興味を刺激されます。

(…とはいえ、ちょっと「エヴァ」にはハマりすぎかも。

しかもTV版の方だし。

これはせめて映画版の方で…w)

 


作者の論理立ては本書を読んで(聴いて)もらうのが良いでしょう。(色んなところにリーチしてる作品なので、全体をまとめるのは面倒だし、そのこと自体がポイント外しちゃう気がするw)

僕としては、

「<孤独>な時間を持って、自分自身と向き合い、考えを深める」

「しかし<自分>だけに固執するのではなく、外部にも開かれた<学ぶ>スタンスも大切にする」

「そのスタンスを確立させていくための<趣味>を持つ」

…みたいなところで今のところは整理しています。

また違うタイミングで読んだら、また違うんでしょうけどね。

でまあ、どんな感じで<趣味>を組み立てようかなぁ…とか考えてるところ。(ここの<趣味>も、ちょっと独特の意味合いはあるんですが)

 


…てなこと言いながら、この本を僕はaudibleで通勤電車の中で聴いたんですよね。

そういう「ながら」的なスタンスは、本書が言ってることとは齟齬があるかも。

まあでも、そういう「出会い」だったんですよ。この本とはw。

(ナレーターのおかげか、電車の中で「話し」を聴くような感じで流すのが気持ち良い作品でした。

いいのかどうか、わかんないけど)

 


(本書の中では「自己啓発」や「新自由主義」に対する結構厳しい論調があります。

出版が「ディスカヴァー・トゥエンティワン」なんだけど、あそこってその手の本を結構出してなかったっけ?

そこんとこが最後の引っかかったりしましたw)

 

 

 

#読書感想文

#スマホ時代の哲学

#谷川嘉浩

#audible

 

イメージは「邦題」。でも芯のとこには「原題」が…:映画評「丘の上の本屋さん」

妻の誘いもあって、大阪ステーションシネマで劇場公開を見ました。

小さなスクリーンでしたが、お客さんの入りは良かったです。

テアトル梅田が閉館しましたが、こういう風に単館ロードショーの受け皿になってくれると良いのですが。

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イタリアでも風光明媚で知られた田舎町が舞台。

そこで小さな古本屋を経営している「リベロ」。

少し風変わりな隣人たちとの日常の中に、ある日、アフリカから移民として渡ってきた少年が加わる。

1冊ずつ本を貸してやり、少年と感想を語り合うリベロ。

その日々と並行して、彼はアメリカに移民として渡ろうとする女性の日記を読み続ける…

 


隣のカフェの店員や彼がモーションをかける女性とのやり取り、店に訪れる一風変わった人々との交流。

ユーモアたっぷりに描かれる日々と、勉強する意欲も向上心もあるが、居場所が見つけられない少年との交流が、淡々と描かれます。

「リベロ」の過去がどういうものであったか、全く描かれず、少年も含め、登場人物たちの背景は会話や画面から最低限受け取れるだけ。

多弁な日本映画とは真逆な映画ですな、これはw。

 


全体的な印象は、邦題の「丘の上の本屋さん」のイメージ通り、「ほんわか」したものです。

予告編もそういう印象でした。

ただ物語の最後、その印象が一気に変わります。

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原題「私は幸せになる権利がある」

振り返れば、「そういう物語だったのだ」、と。

 


今、ヨーロッパでは「移民」問題に大きな焦点が当たっており、イタリアはその最前線に立たされています。

僕にはその切迫感を感じることはできないのですが、そういう背景がこの作品にはあるのではないか、と。

リベロが読む日記は、戦後の経済環境が厳しい中、アメリカに希望を持って移民として渡っていくことを決意した女性のものです。

「幸せになりたい」と海を渡った女性。

そして今、同じように「幸せ」を求めてアフリカからやって来た少年が目の前にいる。

彼に手を差し伸べながら、リベロは伝えるのです。

「君には幸せになる権利がある」

柔らかな作品だけど、社会問題を見据えた作品でもあるわけです。

 


もちろん「本」を巡る物語でもあり、ここで紹介される本たちの物語に温かい気持ちになります。

「発禁図書」に対するリベロの想いとかね。

もしかしたらそういう物語でおさめた方が映画としては出来が良かったかも…。

でもそうしたくない想いが作り手にはあったんでしょう。

それはそれで観る側が受け止めるべきものなんでしょうね。

 


#映画感想文

#丘の上の本屋さん

エンタメだけど主張もある:読書録「民王」「民王 シベルアの陰謀」

・民王

・民王 シベリアの陰謀

著者:池井戸潤 ナレーター:金田明夫

出版:角川書店(audible版)

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最近になって続編の方(シベリアの陰謀)が発売されたのは知ってて、そちらが早々にオーディオブック化されたことから遡って前作も聴いてみることに。

1作目を読んだら少し間を開けて…と思ってたんですが、結局続けて聴いちゃいましたw。

それだけ面白かったってことですね。

 


1作目の方はドラマにもなっていますが、総理である父親と、大学生のバカ息子(徹底的に漢字が読めないw)が何者かの陰謀によって入れ替わっちゃって…と言うストーリー。

2作目はその1年後と言う設定で(書籍としては1作目が2010年出版、2作目が2021年出版なので10年以上開いてるのですが)、「入れ替わり」はなくて、謎のワクチンが日本に蔓延する…と言う展開になっています。

2作目の出版は2021年ですから、「コロナ禍」真っ盛りの時期に、このネタで作品を書き上げた…と言うことになります。

 


どちらも聴いてて笑い声をあげそうになるくらい面白いのですが、存外しっかりとした「テーマ」があるのが読みどころでもあるかと。

 


1作目は「政治家の資質」。

バカ息子に入れ替わった主張はロクロク漢字も読めないし、周りの閣僚やら、有力議員たちは下半身スキャンダルでメディアや政敵から集中砲火を浴びます。

しかし「政治家の評価」ってのはそんなところにあるのか。それをしっかりと報道できないメディアや振り回される民意というのは…という問いかけが読者に投げかけられます。

 


2作目は「民意に蔓延る陰謀論」。

これは「コロナ禍」の日本よりも、「大統領選挙後のアメリカ」をモチーフにしているんでしょうが、陰謀論に振り回された群衆が首相官邸に暴徒となって押し寄せるシーンがあります。

「なぜそこまで陰謀論に振り回されるのか」

作品としてのオチはともかく、ネットデマやマスコミのスキャンダル等にメデイアや政治家までも振り回されて、それらに右往左往する姿への批判的姿勢が作者のスタンスとして見られます。

(日本の「コロナ対策」については作者は概ね「合理的」と判断しているようです)

 


どちらの作品においても「メディアの劣化」も大きな要因の一つになるのですが、それを堂々と描くところは池井戸さんの腹の座ったところでしょうか。

「コロナ対策」への評価なんかも、エンタメ的には「失格」と描く方が盛り上がるでしょうが、それをしないところに一本通った筋が読み取れます。

(もっともその分、医師業界や官僚はボロクソですが)

それでいて「笑えるエンタメ」に仕上げてるところが、さらに凄いわけですが。

 


もっとも1作目を世に問うて10年以上経って、いまだに日本の状況はこんな感じ。

作者としてはやるせない思いもあるかもしれないな…と推測したりもして。

エンタメ小説ほど、世の中は簡単には変わらない…ってのが実社会の「オチ」になるのかしらん。

いやはや…。

 


#読書感想文

#民王

#民王シベリアの陰謀

#池井戸潤

#audible

 

現実の問題としては「組織の官僚化」がネックになるんじゃないか、と:読書録「ゼロからの『資本論」」

・ゼロからの『資本論』

著者:斎藤幸平

出版:NHK出版新書(Kindle版)

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格差と分断が進む現代社会の課題を解決するために、新しい切り口から「コミュニズム」を提案する作品。

出版された「資本論」(エンゲルスがまとめたもの)だけではなく、草稿やノート等、残された資料の解析も踏まえた最新の「マルクス」研究の成果から、マルクスの思想を解説し、現代に問いかけるような形になっています。

ベースになってるのはNHKの番組「100分de名著」のようです。

 


現状の政治や大企業のあり方なんかに対する批判の部分は、なんだかコメンテーターみたいでちょっと鼻白らむ感じも個人的にはありましたが、最新の研究成果から見た「マルクスの思想」ってのは、なかなか興味深く読めました。

ソ連や中国とかの、実現した「社会主義国家」を、マルクスの思想からどう位置付けるかとか、ベーシックインカムやMMT、福祉国家の評価と批判なんかも、うなづけるものはありました。

 


<コミュニズムでは「構想と実行の分離」がなくなり、固定的な分業もなくなります。利潤追求のために無理やり生産性を上げて大量生産するというようなこともやめるわけです。  

それでも、資本主義が生み出す浪費、独占、民営化がなくなれば、社会の「協同的な富」は万人にとって「豊かに湧きでるように」なる。マルクスが構想した将来社会は、コモンを基礎とした〝豊かな〟社会です。ここでいう富の豊かさとは、生産力をひたすら上げていった先にある単なる物質的な豊かさではありません。それでは、「ブルジョア的権利の狭い視界」にいつまでも囚われたままでしょう。そうではなく、ワークシェア、相互扶助、贈与によって脱商品化された〈コモン〉の領域を増やしていくことで、誰しもに必要なものが十分に行きわたるだけの潤沢さを作り出すのです。>

 


マルクスが目指した社会を作者はこう描きます。

「社会の共同的な富=コモン」が社会の中心となる社会…ってところでしょうか?

ここら辺は最近の「左派」的なスタンスが重視するところではあります。

 


そして、その社会を支える活動の中核としてマルクスが考えたのだろうとされるのが「労働者協同組合」。

 


<マルクスが念頭に置いているのは、労働者協同組合です。  

実は、 2022年 10月に、日本でもついに「労働者協同組合法」が施行されました。でも、まだあまり知られていないので、その理念を少し説明しておきましょう。  

協同組合においては、構成員の労働者たちは、自分たちで出資し、共同経営者となります。そうすることで、労働者は自分たちで能動的に、民主的な仕方で、生産に関する意思決定を目指します。資本家たちに雇われて給料をもらうという賃労働のあり方が終わりを告げ、自分たちで主体的、かつ民主的に会社を経営するようになるわけです。>

 


こういう「中間的組織」「中間団体」が担う役割を重視するのは、少し前に読んだマイケル・リンドの「新しい階級闘争」でも言及されていましたね。

<コモン>の範囲を広げて行く以上、政府や企業とは違う、構成員の意見が反映される組織が重視されるって言うのは、論理的帰結なのかもしれません。

 


斎藤さんの主張は「脱成長」でもあるので、それに対しては「そうは言ってもない袖は触れない」って反発もありますが(この点への斎藤さんの反論はもちろんありますし、それは<コモン>の概念にも繋がります)、それを云々する以前に、僕は<コモン>を担う「中間的組織」「中間団体」が、本当に期待されるようにワークするのかってことの方に懸念を感じてしまいます。

 


いや、5、6人の団体とか、10数万人の市や町の自治体なら「やれるかも」とは思いますよ。

でもそれを「国家」と言う枠組みに広げた時、本当にワークするんでしょうか?

それだけの規模の活動を担う組織となった時、ソ連や中国が陥ったような「官僚独裁」的な組織になってしまうリスクは回避できるんでしょうか?

そのリスクを回避するための組織的な仕組みはどうあるべきなんでしょうか?

今の「日本共産党」は斎藤さんの考える<コミュニズム>とは別物だとは思いますが、それでも志位委員長をめぐる昨今のゴタゴタなんかを思い出すと、<コモン>と言う概念とは別に、しっかりとした「組織論」が裏付けとして提示されないと、活動としての<コミュニズム>に賛同する気にはなれません。

 


格差と分断が現代社会の最大の課題であることについては僕も賛同します。

<コモン>という概念の重要性にも共感できます。

その上で、

「じゃあ、そうすればいいのか」

それを語るべきタイミングなんじゃないか…と言うのが僕のスタンス。

その観点からは物足りないところがあるなぁってのが正直な感想です。

マルクス研究の最新報告としては興味深かったですけどね。

 

 

 

#読書感想文

#ゼロからの資本論

#斎藤幸平

 

「特別な僕」の物語。…まあでも、一人称小説って、そんなもんでしょw:読書録「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」

・世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド

著者:村上春樹 ナレーター:大森南朋

出版:新潮文庫(audible版)

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「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」は村上春樹作品の中では初期3部作(+ダンス・ダンス・ダンス)に並んで好きな作品。

何回読み直したか、ちょっと分からないくらい…なんですが、7、8年前に読み直そうと思った時、今一つ乗り切れなくて中断しちゃったんですよね。

まあ、ちょっと忙しい時期でもあったんで、それもあってかな…とも思ってたんですが、気にはなりました。

女性(フェミニスト)から見た村上春樹作品の「独善性」みたいなことが言われるようになってたってのもあるかなぁ、とか。

 


audibleは結構精力的に村上作品をオーディオ化してて、初期3部作はされてないけど、本作は最近アップされていました。

この4月に村上さんの最新長編が出版される…と言うのもあって、ちょっと気になって田本作をオーディオブックで「聴いて」みることにしました。

 

 

 

まあ、少し古くはなってますかねw。

ビール飲んで、飲酒運転しているし。

85年の作品ですから、時代としては「バブル」。

そう言うとことは一線を引くってのが村上さんのスタンスでしょうが、低音としては影響はあるんでしょう、多分。

パリピーなとこはないけどw(当たり前)

 

 

 

「特別な自分の独りよがりな物語」って感じは、確かに今読んだ(聴いた)方が強く感じるかも。

 


「<世界の終わり>って、結局、自分自身が閉ざされた意識の中に入っちゃうってだけで、別に他の人にとっては世の中は相変わらず動いてるやん!」

 


まあ、そうなんですが、ひっくり返したら、世界がどうであったって、「自分」の意識が終末を迎えちゃったら、自分にとって「世界」のことなんかどうだっていいんだしねぇ。

だいたい「一人称小説」なんだから、どうしたってその主人公は「特別な僕」でしょう。

そうじゃなきゃ読んでられないw。

確かに「女性像」については「まあねぇ」ってところは少なからずありますが。

「ハードボイルド」っぽいとも言えるかもしれないけどw。

 

 

 

…と言うことで、audibleで聴いたら、特に反発も抵抗もなく、ラストまで楽しく聴くことができました。

やっぱ文章、上手いなとも思います。

「大森南朋」さんのナレーションは、声の調子にちょっと女性性を感じさせるところもあって、なかなかフィットしてるなとも思いました。

audibleの村上作品は役者さんにナレーションを当ててるようですが、悪くないかもしれません。

 


ただまあ、「今読むべき本」なのかどうかは、なんとも言えないかなぁ。

少なくとも子供たちにオススメはしないですね。

そう言う意味ではある種の<時代>を抱えた作品ではあるかな、とは思います。

昔読んで楽しんだ人は、一聴の価値はあるかも…です。

 

 

 

気が向いたら、次は「海辺のカフカ」か「1Q84」あたりを聴いてみようかな。

Amazonさんには頑張って、初期3部作のオーディオ化も実現して欲しいです。

 

 

 

#読書感想文

#世界の終りとハードボイルドワンダーランド

#村上春樹

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「答え合わせ」的ではあるけど、興味深くは読めました:読書録「コスパで考える学歴攻略法」

・コスパで考える学歴攻略法

著者:藤沢数希

出版:新潮新書

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我が家の2人の子供は18歳と16歳。

2人とも私立の一貫校に行ってるので、本書について言えば「今更」ではあります。

中学受験用の塾の話とか、日本の中高教育の評価とか、かなり具体的で興味深いんですが、今、どうこうできるもんでもなく、

「まあ、<大外れ>はしなかったかな?」

と「答え合わせ」する程度です。

 


もっとも全体としては結構興味深く読めました。

日本における「学歴社会」の評価なんか、サラリーマン生活も終盤になってきている僕からすると、実感として、

「そうだよなぁ」

 


<会社経営者など、学歴がなくても商売で成功する人たちはいくらでもいる。(中略)いったん会社に入って仕舞えば、卒業大学の序列は社内の出生競争で簡単に逆転してしまうし、そもそも就職の際の採用試験で、所属大学から言えば格上の学生が落とされ、格下の学生が内定を取る、などと言うことはいくらでもある。大学間の序列は、社会に出てエンジニアや営業としてスタート地点に立ってしまえば、割と些細なことであり、受験産業の人たちや受験生が思っているほど大きなことではない。>

 


もちろん「いい大学」を出るメリットはあるんだけど、それが決定的なものでもないという当たり前の話。

 

 

 

「コスパ」って言う観点から見た「学歴」攻略についても総じて違和感はないです。

まあ敢えて言えば、「医学部」に関しては、「コスパ」は絶対にいいけど、「仕事」としては責任も重いし、長時間労働にもなるし、そこら辺も加味したほうがいいんじゃない?

…ってくらいでしょうか。

 


総論としてはこうだとしても、個人に落ちてきたらそれがどうなるかは、コレは別ですしね。

グラディエーションもあるし、個人差も結構ある。

「生き方」「働き方」に対するスタンスにもよるでしょう。

そう言うところにまでリーチしてるような本ではないですからね。

 

 

 

 


コレを読んで、今子どもに僕が話すとしたら何かな〜?

一つは、

「英語は絶対ちゃんとやった方がいい」

コレは自戒も含め。

加えて、

「自分みたいな立場の人間がマジョリティーと思っちゃいかん」

 


<現在でも、大学教育を受けることが当たり前の家庭は日本ではせいぜい半分程度である。文科省の学校基本調査によると、日本の大学進学率は1990年には約25%、2000年は約40%、2020年は約51%、2020年は約54%となっている。>

<文科省が行なっている学校基本調査によると、日本で私立中学に通っているのは全体で約8%であり、92%は公立中学に通っている>

(それでも大学進学率は僕のころの倍になっている。ここら辺、むしろ僕の方の感覚をアップデートしておく必要があるかも…)

 


いや、こんなこと言わなくても、子どもたちは十分わかってるかな?

「余計なことは言わない」

コレが一番の教訓かもw。

 


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