鈴麻呂日記

50代サラリーマンのつぶやき

「大義」が見えなくするもの:映画評「罪の声」

原作を読んだ妻が「観たい」と言ってたので、prime Videoでレンタル。

2時間20分。

「長い」…ですが、全く退屈しませんでした。

野木亜紀子さん、さすがです。

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妻によれば、

「相当、原作をコンパクトにしてる」

とのこと。

確かに、

「え?これって都合良すぎない?」

ってとこもチラホラ。

そこら辺を丁寧にやろうと思ったら、連ドラにしなきゃいけないだろうけど、丁寧にやってたら、このドライブ感は出てこないだろうな、とも。

暗いエピソード多いから、連ドラだと、多分僕はついていけませんw。

 

役者陣は「有名どころ」よりも、「演技達者」基準。

これが作品世界をうまく作ってます。

「声」の一人の男性なんか、「よくぞ、この人を」って感心しちゃうくらいです。

(個人的には「宇崎竜童」は「?」かな。分からんでもないけど)

 

弱い者の「大義」は確かにある。

その「大義」の前には「犠牲」もあり得る。

…しかし、それが「自己満足」でしかない可能性も。

 

「罪の声」を背負った者が問い掛けます。

 

「社会」を変えていくのに必要なものは何なんでしょうね。

コロナ禍の中での政府・行政の右往左往を見ながら感じることでもあります。

 

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