鈴麻呂日記

50代サラリーマンのつぶやき

「ポーの一族」の続きをお待ちします:読書録「一度きりの大泉の話」

・一度きりの大泉の話

著者:萩尾望都

出版:河出書房新社

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これはもう、「痛ましい」としか…。

 

 

<執筆が終わりましたら、もう一度この記憶は永久凍土に封じ込めるつもりです。ちゃんとお墓を作り、墓碑銘も書きましょう。

 

「1970〜1972年の2年間

夢を見て大泉に集った

漫画家たちがあった。

仕事をし、語り合った。

だが地雷もあった。

それが爆発して大泉は解散した」

 

青春はこのように終わりました。

時は過ぎ行き、戻ることはない。

ホフマンの舟唄の詩のように。

それで良いと思います。

時は過ぎ行き、二度と戻ることはないのです。>

 

 

本書のそもそものきっかけは竹宮恵子さんが書いた自伝(「少年の名はジルベール」)で「大泉サロン」のことが描かれ、それをきっかけに取材が萩尾望都さんのところに集中。そのことに精神的にキツくなった萩尾望都さんが、取材等を断ち切るために「一度きり」話をすることした…と言うことのようです。

 

僕は「少年の名はジルベール」は読んでないんですが、それも資料にしたはずの中川右介さんの「萩尾望都と竹宮恵子」は読んでいます。

その中で記されている二人の別離の背景は、

<70年代に入り、質の高い作品を立て続けに発表する萩尾望都に、竹宮恵子が焦りと圧迫を覚え、自分から「距離を置きたい」と告げた>

と言うものです。

大筋で、この見立ては竹宮視点では間違ってないでしょう。

萩尾望都さんも、最近になって「そう言うことだったのかもな」と想像されているようです。

 

 

ただ、それを「萩尾望都」視点でも見ると…と言うのが本書。

 

それ以降、萩尾望都さんは竹宮恵子さんの作品を一作も読んでいない/読むことが出来ないようです。

50年後の今に至るまで。

 

 

青春は過ぎ去り、第一線を退いた竹宮さんは「懐かしく」それを振り返りたいのでしょうね。

それだけ「大人」にもなっている。

でも「描き続けるしかない」と思い知った萩尾さんには、それは出来ない。

その「傷」こそが、「描き続けるしかない」自分を思い知らせ続けているのだから。

 

 

だから僕も「もういいかな」と思いました。

昔のいざこざを読むより、「ポーの一族」の続きを読みたいので。

まあ、僕も歳を取りましたw。

 

なので、本書は「おすすめ」ではないです。

あの時代の綺羅星のような漫画家たちが登場するので、そう言う楽しみはありますが、読後感は重い。

彼女たちの「今」を知って、時の流れを感じると言うのもありますし、その中で「現役」であり続ける萩尾望都さんをはじめ、数人の漫画家たちのスゴさを再認識するってのもありますがね。

「覆水盆に返らず」

まさに。

 

 

PS  僕は萩尾作品の中で「マリーン」って原作付き短編が結構好きなんですが、この原作者「今里孝子」さんって、萩尾望都さんのマネージャーをされてる「城章子」さんなんですね!

これはスッキリしましたw。

 

 

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