鈴麻呂日記

50代サラリーマンのつぶやき

「利権」という枠で括るのはもったいない:読書録「ドキュメント 感染症利権」

・ドキュメント感染症利権  医療を蝕む闇の構造

著者:山岡淳一郎

出版:ちくま新書(Kindle版)

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作者ご自身の問題意識は

「今のコロナ対策で顕わになった感染症対策のミスマッチは、明治以降の日本の医療行政にある<組織の論理>や<利権構造>に根ざしている」

ってところにあるので、「利権」を表題に掲げるのはよく分かります。

ただ読んでみると、あまりにも重要で考えさせられるポイントが多く含まれてるんですよ。

「利権」というと、「そんなのけしからん!」「既得権益を打破すべき」…って流れになりますし、そのこと自体は間違いでもないんですが、「そう簡単にはいかない」って背景も本書からは見えてくるんですよね。

 


<まずは新型コロナ対策で〈政治主導〉がもたらした矛盾を検証し、時代をさかのぼって〈学閥〉の形成から利権構造を説き起こす。〈医学の両義性〉の観点から、戦中の七三一部隊の人体実験の蛮行を顧みる。差別された患者と〈官僚主義〉とのたたかい、〈グローバリズム〉による製薬利権の膨張や、バイオテロのリスクを手がかりに現代の闇に分け入ろう。>

 


明治維新後早々に発生した<学閥>という組織論理(森鴎外がその担い手として登場w)と後藤新平・北里柴三郎の戦い

第一次大戦下のパンデミック(スペイン風邪)の猛威から産まれた闇子「七三一部隊」と<学閥>の関係、戦後の医療人脈とのつながり

結核・ハンセン病との戦いにおける官僚主義の不全

エイズからSARS、そして新型コロナウイルスに至るまでの製薬会社と政治の癒着と、グローバル政治の関係

 


とにかく興味深い話が続々と披露されます。

「新型コロナウイルス」に関しての提言を期待してると「肩透かし」かもしれませんが(その観点からは、僕は作者の批判は<少し早い>と思います)、その背景にある「日本の医療行政の歴史と錯誤、さらには葬り去りたい「闇」まで、「知っておくべきこと」を簡潔に、分かりやすくまとめてくれています。

通勤途上で読み始めたんですが、あまりに面白くて、一気に読み上げてしまいました。

 


「新型コロナウイルス」対策という点では、論ずべきはこの点でしょうか?

 


<日本もアメリカも中国も、新型コロナ感染症の流行に対して、初動は遅れ、程度の差はあれ、情報が隠蔽された。そこからどうやって情報を開示させ、社会を立て直すのか。より精密に個人の行動追跡を行うなら、特定される個人の匿名性を守り、情報の二次使用を禁じ、追跡状況を本人が確認できることが必須であろう。大前提として個人情報を預ける政府への信頼が欠かせない。下手をすればジョージ・オーウェルが小説『 1984』で描いた全体主義のスローガン「自由は屈従である」「無知は力である」を地で行きそうな国家指導者もいて、うっかり信じると痛い目にあう。感染症と政治は連動している。>

 


<そこにポスト・コロナ時代に必要なものが見えてくる。個人の「自由」と権力による「統制」をつなぐ「公共」の領域だ。個人の自由を守るために互いの不自由を少し忍んで「共通善(コモングッド)」を目ざす、社会の基本原理に立ち返らなくてはならないだろう。強権的な統制よりも情報を開示し、人びとの合意のうえでの制限のほうが民主主義になじむ。そのための社会的基盤が「公共」の領域を厚くすることだ。>

 


「政府」を信頼することができるのか?

「公共」の領域を如何にして厚くしていくというのは、どういうことなのか?

 


それを考える上で、「歴史」を振り返ることには大きな意義があると、僕は考えています。

結構、「不都合な真実」なんですけどね。

ここで明らかにされてることは。