鈴麻呂日記

50代サラリーマンのつぶやき

(メモ)「危機と人類」:日本の課題

ジャレド・ダイアモンド「人類と危機」第8章では「現代日本」が抱える課題について整理されています。

全体として読みがいのあるパートですが、個人的には以下の点に特に興味を惹かれました。

 


①女性の活躍推進・超高齢化対策と移民

「人口減少」と移民政策ってのは結構論じられますが、ジャレドは「人口減少」そのものはあまり問題視していません。(むしろプラスになるくらい)

ただ「女性」が社会進出していくにあたって、子育て支援サービスや、「高齢化」の介護支援として、「移民」を活用できないことが大きなマイナスとなる点を指摘しています。

ここは文化的に「子育て」や「介護」の担い手を女性中心として担わせる点も大きく影響してるわけですが、男性の担う割合を引き上げたとしても世帯としてはロード荷重になることに変わりはないので、「確かに」ではあります。

「それをロボットで…」

と言う声もありますが、正直、このエリアをロボットに任せることこそ文化的には厳しいのではないかと思いますしね。

 


②中国・韓国(+北朝鮮)との関係

シンガポールのリー・クァンユー発言が引用されています。


<ドイツ人と異なり、日本人は自分たちのシステムのなかにある毒を浄化することも取り除くこともしていない。彼らは過去の過ちについて自国の若者に教えていない。橋本龍太郎首相は第二次世界大戦終結五二周年(一九九七年)に際して『心からのお詫び』を、同年九月の北京訪問時には『深い反省の気持ち』を表明した。しかし、中国や韓国の国民が日本の指導者に望むような謝罪はおこなわなかった。過去を認め、謝罪し、前に進むことを日本人がこれほど嫌がる理由が、私には理解できない。どういうわけか日本人は謝りたがらないのである。謝罪するとは、過ちを犯したことを認めることだ。後悔や遺憾の意を示すのは、現時点での主観的な感情を表明しているにすぎない。日本人は南京大虐殺が起こったことを否定した。韓国人、フィリピン人、オランダ人などの女性たちが、拉致あるいは強制によって前線の兵士たちのための『慰安婦』(性奴隷の婉曲表現)にさせられたことを否定した。満州において中国人、韓国人、モンゴル人、ロシア人などの捕虜を生きたまま残酷な人体実験に使ったことを否定した。いずれの事例についても、日本人自身の記録から反論の余地のない証拠が出てきてようやく、彼らは不承不承ながら事実を認めた。今日の日本人の態度は将来の行動を暗示している。もし彼らが過去を恥じるなら、それを繰り返す可能性は低くなるだろう>

 


僕は東アジアにおける地政学的な大変動が今後の日本においては最大の課題と思ってるんですが、その地域にある心理的な土壌に対する無理解が一番懸念されます。

これが最大のリスクと言ってもいいくらい。

韓国との関係は、現在は感情的な縺れが複雑過ぎて、しばらくは「静観」せざるを得ないと感じていますが、「日本にとって」極めて危機的な状況にあると思ってます。

韓国と北朝鮮が一緒になって、中国と陣営を組んで日本に迫ってきた時、日本としてどういうスタンスを取るのか、与党も野党もまじめにかんがえてるんですかね?

 


<日本占領時代の私の経験と、恐怖を覚えていた日本人の特質にもかかわらず、今の私は日本人を尊敬し、称賛する。彼らの団結力、規律、知性、勤勉さ、国のために進んで犠牲となる精神がすばらしく生産的な力を生み出している。資源の乏しさを自覚している日本人は、達成不可能なことを達成するためにさらに努力しつづけるだろう。あの文化的価値があれば、彼らはどんな大災害があっても、唯一生き残るだろう。日本は折に触れて地震や台風、津波など予測不能な自然の力による打撃を受ける。被害を受け、立ち上がり、再建する……大地震に襲われた一年半後の一九九六年に神戸を訪れたとき、日常生活が取り戻されていることに私は驚いた。あの大災害に冷静に対処し、新たな日常をすでに取り戻していたのである>


同じくリー・クアンユーの発言。

こういう見方をしっかりと未来につなげていくことが極めて重要だと思います。

 

 


「日本がこの課題を乗り越えていけるのか?」


ジャレドの主なまとめは以下。


<楽観的要因>

①過去にも危機を解消した経験がある。(明治維新と第二次大戦後の復興)

②失敗や敗北から回復する忍耐力と能力が過去に実証されている。

その他、多くの楽観要因があることも記されています。


<解決のための障害>

①環境変化によって時代に合わなくなった伝統的価値観

②第二次世界大戦の捉え方(責任を受け入れるのではなく、自己憐憫や自国の被害者性ばかりに集中する)

③公正で現実的な自己認識の欠如(人口減少への過度な悲観、移民政策)

 

日本に対して好意的な人物から見ての評価。

さてさて。