「ふたりきりで話そう」を読んで、星野源さんが楽しんでいるというコメントのあった「マスター・オブ・ゼロ」がちょっと気になりました。
マスター・オブ・ゼロ
で、第1話を観たんですが、
「面白いけど、50代妻子持ちむけじゃないかな?」
(<20代、30代、独身都会生活者向け>って印象。音楽の趣味が良いです)
ただ主人公の「アジズ・アンサリ」がどの程度の人気者なのかが気になってググったら、
「ん?セクハラ?」
ただ詳細を確認してみると、
「ん〜、これでセクハラって言われると…」
って感じ。
<ハリウッドのセクハラ騒動:ここまで来ると便乗?行き過ぎ「#MeToo」に女性からも批判>
https://news.yahoo.co.jp/byline/saruwatariyuki/20180118-00080580/
そこら辺、自分でもコメントしたライブがNetflixにあると知って、観てみました。
アジズ・アンサリの“今”をブッタ斬り
スパイク・ジョーンズが監督してるという作品。(まあ、さほどど画や編集のシャープさが求められる作品じゃないけどw)
冒頭、アンサリ自身がセクハラ騒動にコメントとしています。
まあ、この謙虚さはクレバーですね。
で、1時間ほどのライブ(スタンドアップコメディ)を観て思ったのは、
「いやぁ、難しい時代やわぁ」
マイノリティであるアンサリは上手くそこらへんを扱い、笑いに持って行けてますが、それでも「う〜ん」ってところがある。
あるんだけど、じゃあ「ポリティカル・コレクトネスなんて!」って風にもならないんですよね。
それは「上級国民/下級国民」でもコメントされてたけど、PCが「現代」を生きていく上においての最低限の「振る舞い」になってるからでしょう。
ただそのことが「行き過ぎ」になったり、「現実とミスマッチ」したりしてきてもいる。
そこらへんを笑いにしながら、PCのバランスを調整していく。
…そんな感じかなぁ。
僕は「日本のお笑い」が「遅れてる」とは思わないし、別に「政治」をネタにしなくてもいいとは思ってます。
(爆笑度合いなら、日本のお笑いの方が僕は笑えます)
ただこういうこと(あからさまな「差別」や「いじめ」だけじゃなく、立場による差別や圧力)に対して、あまりにも無自覚すぎるかな、とは。
そこら辺が徐々に表に出てきて、色々ゴタゴタしつつも調整局面に入ってるのが<日本>の現状なのかなとも思いますね。
なかなか大変だけどなぁ。