・ネトウヨとパヨク
著者:物江潤
出版:新潮新書
元・東電社員/松下政経塾出身で、今は福島で個別学習塾を経営しながらフィールドワークなんかもしている作者が「ネトウヨとパヨク」に関して、独自のフィールドワークや経験なんかもベースにしながら考察した作品。
個人的には「子どもに対する影響」という点へのコメントがあるのを読んで、購入してみる気になりました。
①<ネトウヨ>や<パヨク>は、自身の「正義」に囚われ、対話不能となってしまった存在。
②従来はそういう存在は孤立するしかなかったが、ネットがその環境を変え、自身の主張を強く(繰り返し)打ち出し、同調者と「島宇宙」を作って反復強化されるようになっている。
③スマホの普及によって「子ども」がネットに接続するハードルが大きく下がっており、しっかりとした対抗軸を持たない子どもたちが<ネトウヨ>や<パヨク>の影響を無自覚に受けてしまうリスクが高まっている。
このアウトラインは、「その通りだなぁ」と思うんですよね。
で、作者は自らネットの中で議論をすることで、その「あり様」を確認しようとしています。
それはそれでいいんですが、加えて自分が東日本震災後、福島でフィールドワークした際の経験(本にもなってる様です)から、「自分の正義に囚われ、対話不能となった存在」の事例として紹介しています。
まあ分かるんですけどね。
分かるんですけど、個人的にはここがノイズになってしまい、
「結局<ネトウヨ>や<パヨク>のことをテーマにしてるけど、言いたいのは福島の話なんじゃないの?」
ってあらぬ邪推をしちゃったりも…って感じになってしまいました。
作者にとってインパクトのあることであり、問題意識(「善意の正義がなす悪事」)にも通じるところがあるんで、ここで引き出したくなるのは分かるんですが、まだまだこの話は「ナマ」過ぎる気が。
僕自身、「直接の震災被害者じゃない人への偏見」ということを仄聞したことがあるだけに、そういう気分になったのかもしれませんがね。
ただ「連合赤軍」や「二二六事件」の事例なんかは、良い塩梅で収まってる印象があるので、バランス的に「どうかな?」というのは指摘できると思います。
(さらにここは「対話」と「信念」という点でも微妙な論点になっているんじゃないかな。「対話可能性」ということと「信念を変える」ということは同じではないはずなので。
ここを論じるには、逆に分量が足りなさ過ぎるくらいかもw)
「子どもたちへの影響」という点でも、指摘は「もっとも」と思うものの、「対処」という点では「?」。
「入試対策」って言われても…。(しかも実現性は相当に低い内容になってます)
一方で、「ギャラリーへの影響を考えた冷静な対話の継続」という視点は良いと思います。これは原発をめぐる言説にも通じることで、「相手を変える」ことを目的にするのではなく、「対話の場をオープンにし、ギャラリー(社会)に影響を与える振る舞いをする」ってことしかないのではないか、と。
今の所はね。
この延長線上で「子どもへの悪影響」を防ぐような方策は何かないのか。<家庭>においてそういう「場」を作るためにはどうしたらいいのか。
…あたりに話を広げていってほしかったかなぁ。
「いや、それはあなたが自分で考えることでしょ」
とか言われると、まあ納得せざるをえなくないんですがw。
作者が誠実な人なのは間違いないと思うし、悩んでもいるんでしょうね。
本書もその誠実さを反映してるとは思います。
ただ今の僕の問題意識とはちょっとズレてるとこがあって、そこが隔靴掻痒…というのが読後の印象です。
難しい話ですけどね、実際。