鈴麻呂日記

50代サラリーマンのつぶやき

「死で人生は終わる、つながりは終わらない」:読書録「モリー先生との火曜日」

・モリー先生との火曜日

著者:ミッチ・アルボム  訳:別宮貞徳

出版:NHK出版(Kindle版)

f:id:aso4045:20190107201719j:image


このnoteを読んで、興味を覚えて購入(DL)した作品。

https://note.mu/satonao310/n/ndb7c4d0f2720


死を間際にした教授の最後の授業というと、それこそ「最後の授業」という作品があって、かつて僕もすごく感銘を受けたんですが、

f:id:aso4045:20190107201739j:image

本書はちょっと違いました。


「最後の授業」は先生が行った本当の「授業」。

本書は死に向かう先生に寄り添った日々の中から、得た「学び」の日々を「授業」と位置づけています。

「最後の授業」には先生の語る強いメッセージ性がありますが、本書の場合、モリー先生の「語り」以上に、モリー先生の語り口や姿勢、佇まいに柔らかな「メッセージ」を感じます。

一言で言えば、ここかなぁ。

 

<人を愛することをにみずからを捧げよ、周囲の社会にみずからを捧げよ、目的と意味を与えてくれるものを創りだすことにみずからを捧げよ>

 

決して後悔がないわけでなく、完全なる善人でもなかっただろうけど、モリー先生はこういう人生を生きようとして、生きた人だったんだな、と思います。

(それこそ「コレ」だけがメッセージなんじゃなくて、モリー先生の人生から浮かび上がってくる<何か>を最後の日々から感じ取るのが本書の読み方のように思いますが)

 

僕の父は去年亡くなりました。

心臓発作でしたから急のことではありましたが、何年も前から心臓の機能は落ちてきていたので、僕の方に「覚悟」はありました。

それでも、「もう少し、色々な話をしておきたかったな」という想いは、今も続いています。

まあ、その想いこそが「死で人生は終わる、つながりは終わらない」ってことなのかな、とも思いますけどね。

(多分、時が戻っても、僕はうまく父と話すことはできないだろうし、それはそれで僕たち「父子」らしいんじゃないかな、とも)

 

今という時代から見ると、モリー先生の考え方には「時代錯誤」なところもあるかも。

人が時代というものから逃れられない以上、それはそれで仕方がない。

でも「本質」は今も変わらず訴えるものを持っていると思います。

いや、「今」だからこそかも…。

 

PS  ジャック・レモンがモリー先生を演じた作品があるようです。

f:id:aso4045:20190107201804j:image

ちょっと観てみたい気もしますねぇ。(NetflixかAmazonプライムあたりにならんものかな?)