鈴麻呂日記

50代サラリーマンのつぶやき

(追記)シンギュラリティ後のAI統治について:われらはレギオン

この記事を読んで、

「オイオイ、キャッシュレスを推進するんじゃねえのかよ!」

と思い、

「合理性とか、論理性とか、もうちょっと考えてほしい」

と呆れた思い。

 

<増税対策、現金配布案浮上 「田舎の魚屋、クレカない」>

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181017-00000010-asahi-pol

 

ま、それはそれとしてw、「われらはレギオン」が個人的に面白かった理由にはこういうとこもあるのかなぁ、などと思ったりもしました。

要は、


①主人公「たち」は(対アザーズ以外は)圧倒的なアドバンテージを持っている。

②オリジナルの「ボブ」の合理性が、AIとなって、より強化されており、合理的・論理的判断がストーリーを牽引している。

③「①」「②」をベースに、ボブたちは人類や地球外生命体を「指導」「誘導」し、合理性に則った統治を行っている。

④「コピー」によりボブたちには若干の「差異」があり、それが「合理性」の<冷たさ>を緩和している。


まとめると、

「合理性・論理性が優位に立っており、それを否定したり、無視しようとする存在・勢力に対しては、最終的には圧倒的な力で対抗する」

という世界観。

実に厨二的といいますかなんといますかw。


最終的にボブたちは「しがらみ」から逃げ出してw、「自由」を求めて宇宙に広がっていくわけですが、そのまま「人類」に関与していくとしたら、それはそれで「ビッグブラザー」な世界かもしれません。

「スタートレック」好きなエンジニア気質の「ボブたち」はそーゆーの大嫌いなんですけどね。

ただまあ、冒頭の記事みたいなの見ちゃうと、

「ええんちゃう?ボブ(AI)に任しちゃったほうが」

なんてことも考えたりしてw。

シンギュラリティがホントに来たら、ね。


いやはや、ほんと民主主義のコスト(時間的にも)は高くなってきてますなぁ。

だからって「独裁」は勘弁なんですが、合理性や論理性をもうちょいスピード感早く持ち込んでくれる政治の仕組みはないものか、と。


危険かしら?

こういう考え方。

 

(合理的・論理的なことが人類にとって幸せかどうかもあるし、そもそも合理性や論理性にもフレームワーク問題はありますからねw)